覚悟を消化していきます

ようやく、わかりました。そして、多分ある出来事を覚悟していることも、です。

受け止めるには、能力不足なので少しずつかみしめます。

多分、誰か複数の人には直接伝えているのでしょう。そして、それが伝わってくると予想しています。

重いです。心臓が締めつけられる感覚を味わってます。

色々考えることは沢山あるので、その沢山あることを丹念に考えていきます。

恐らく、これで書き込みを中止します。

ありがとうございます。

減産見送り

公約で増税をそのまま実施することを掲げる政党はない。未練たらたらだが、仕方がない。

北の副部長の駒になるかもしれない。仕方がない。

OPECは減産を見送った。石油市場の先の予想は、いつかは減産だろう。今回の見送りで負の影響の国はどこだろうか。ロシアは負だろうか。

日本は明らかに恩恵が受ける側だろう。市場が動いたということは、減産を予想していたということだろう。同じく、減産する確率が高いと思っていた。

このまま減産しなければ、石油産出国の経済は疲弊するから、さらに落ち着かない動きがあちこちで起きる可能性が高いと思う。

これから、冬場の消費量が多くなることを期待しているのかもしれない。今回の見送りは記憶に残る失敗かもしれない。

まず、ベネズエラインドネシアに注目すべきだろうか。

なんで、来年の増税を今の足元で判断するのか、がわからない。まだ未練があるらしい。

健全野党

今朝の記事で予想通り、少しCDSが動いているようだ。明日の月次データを確認したい気持ちもあるが、デフレを抜けるロジック自体での争点にならないことが、どこかおかしいと思う。要するに、純粋な経済分野での議論になっていないのだ。

極端に言えば、抽象的な意味での消費財の上昇と実質的な所得増の関係をどのように考えているか、また、所得増で既存消費財の需要と新規代替消費財の需要をどのように考えているか、ということだが、なぜ名目所得増がデフレ脱却になるのか、その説明としては記憶にない。まあ、総選挙という意味では、それ以前のどこか根拠を失った話になっているから、正直なところ気持ちが萎える。

ここ数日のニュースで、有力野党代表が講義したが、歯切れの悪さに本音が別にあると感じた。つまり、根拠は感じたことだけで、本音を曲げる力学の匂いを嗅ぎ取ったという説明になる。だから、外れているかもしれないが、大きくずっこけているとも思えないのだ。

中国や韓国とは、こんな感じがよいという基本的な態度は、よくわからない子どもの頃の兄弟げんかと成人のつきあいということだと思う。兄弟げんかは、おやつのささいな違いでも起きる。しかし、大人になってもそれを引きずることは極めて稀だ。

日本でも沖縄やアイヌといった少数民族の経験をしているが、当時と現代では異なるだろう。それと同じことという意味だが、受け止める相手にとっては軽んじられたという気持ちになる可能性があるから、慎重になる必要はあるが、時代が異なるという基本的姿勢が戦略と思う。

あと何か書くつもりだったが、メモしてなくて忘れてしまった。スタッフがいると生産性は高いと思う。

さて、生活の党の公約と、民主党副代表の演説のニュースで、やはり健全野党が本筋と思った。批判ではない。健全だと思うという意味で解釈した。

つまり、議会政治の本来の役割は何かということになるということで、議会の外で公衆に働きかけることやデモ、その他の主義主張の解決手段を議会で行うという理解が適切ということだ。

全ての解決を多数の力でねじ伏せることを人間は本能的に恐れている。だから、最終的結論が同じでも、結論までの過程が透明化されることで納得感が得られる効果が必要なのだ。その意味では、仮に圧倒的勝利が見込める場合には、きちんと少数意見に向き合う姿勢を見せなければならないだろう。

議論を丁寧に行うことにつきる、とも言える。そして、それが議会政治の適切な運営だろう。そこを省略して結論を急ぐと不幸な状況を招くだろう。

それをわかっているのかね、と公約で訴えているように思える。

一般的に政策での恩恵には正負の多様性がある。例えば、ラーメン党とカレー党しかないとして、ラーメン党を支持する層に有利な政策は、カレー党を支持する層に不利に働くことが考えられる。この時に、どれだけ納得感を持つかで、不利な政策に反発する場合もあれば、おとなしく従う場合もあるだろう。これで理解出来ると思う。

だから、主義主張を重視する政党と政権党は役割が異なるのだ。ここでの政権党は、政権を担うことを重視する政党という意味だ。

その政権党は、自らの主義主張を引っ込めなければならないことを承知する必要があるし、別の選択肢の支持者への丁寧な説明も必要なのだ。それらを一体化して理解しなければ、おかしな、整合性のない理屈になるだろう。

これをスマフォ入力で説明するのは、負担感として躊躇する。少々汗を感じている。

そして、その議会政治が正常に行われる為には、各議員がきちんと向き合う必要があるはずなのだ。しかし、現実では実力がない。実力がないことを認めて、その補い方を工夫する努力をすることが、恐らく適切な道筋だと思う。それを期待しているが、目標に達しなくても気にせず、ひたすら努力すればよいのではないだろうか。

同じことは、昨年書いているはずだ。

優勝32回

国防長官の件は直感的に危うさを感じる。なんというか、本来は顧客の為に頑張る必要があるのに上司の為に頑張ってしまっているような感じだ。

サービスの企業物価に注目した。なぜだろうか?広告とかの説明はあったが、どうなのだろうか。

有力野党のホームページと数人の個人ホームページを見た。なんとなくわかった。組織の指揮系統以外の無責任な横槍があるのだろう。そんなことをためらわずに出来るのは、会社とかの組織に属して働いたことがない、いきなりの創業者のような存在なのだろう。執行部の失敗は執行部の責任で、成功は自分の功績とするような、まあ白アリのような存在なのだろう。

世界的な自動車関係の創業者が、部下と技術的な対立となるが部下の実績を認めて引退したことは有名な話だろう。潔さがなくずるずると地位に留まって汚名の記憶しか残らない人は沢山いるから、それを意識したのかもしれない。さて、誰が参考にするのだろうか。

今のところ、先延ばしでも確実に増税を約束する政党の方が信用出来ると思う。財政の信頼性の観点で、先延ばししかなければ、確実な増税に頼るのは自然なことだろう。

元参院議長へのコメントに何かにじみ出ていると思った。それが結実することを想像したい。

白鵬が優勝した。優勝の後のコメントで、なぜか日本人以上に日本人のような感じがした。聞く立場としての日本人としては誇らしい。争う立場としてはどうだろうか。

この時の優勝回数が並んだ大鵬親方の奥さんの言葉に感動した。これは相撲だけではないと思う。

例えば、ある技術で秀でたとして、それの技術指導を他社或いは他国相手にして、指導した技術では並んだとしても、尚一層技術を進歩させて指導した相手より秀でた状態にするようなことと似ていると思ったのだ。

あるIT企業が、自身の経営ノウハウを惜しみなく公開して、他社の経営の参考になることを願っているような話と似ているだろう。

競争の結果だけに着目すると、情報提供しなければ有利なのは当然だろう。情報提供しても、尚競争優位であることへの自信の表れという解釈が自然だ。

社会全体としては、情報提供が広く行われることがよいのだが、確立過程の努力への評価という意味での特許の存在は忘れてはならない。努力誘因の意味だ。

最近の新聞へのコメントに躊躇する。総選挙の時期ということもあるから、なるべく距離をおく方がよさそうだ。ただ、増税を掲げる政党を待つことにしよう。

さて、ダブル合格での偏向を感じてしまうのは、機動的な講師陣にあるのかもしれない。それを実感した。この差は感度の差だろうか。悔しく感じてしまうのは、おかしいのだろうか。

しかし、無批判が保証される状態は、とかく問題になりやすい。自浄的に批判されるなら、問題を防止出来るかもしれない。安定的なニッチ市場は、その典型だろう。

探求

追加緩和の時の会合で、想像通りかなり突っ込んだ議論がされていただけでなく、中断して連絡したことには驚いた。

そう言えば、OPECで減産の予想も出ているから、石油も値上がりするかもしれない。その要因でのCPI上昇は当然ありえる話だ。仮に、減産決定なら、注目すべきだろう。

今朝の新聞で色々と思い当たることがあって、少し慎重になることにしよう。

なんとなく読めるのは、公約を急いだ理由だ。振り切る意図があるのだろう。野党まっしぐらの道を選択している認識があるのかは、わからない。

前回から考えているが、何かに集中しているのは、番組でも紹介していたが、山本周五郎の何かのまとめ本だと思う。何度も読み直しているから、突き詰めることが出来るのではないだろうか。

例えば、夫婦のあるべき姿というものは多様だろうが、問いを制限すると見えてくるものがあると思う。

好きな麺類が異なり、夫がうどん、妻がそばもとしてみよう。問いは、夫婦で麺類の選択は何か、としてみると、とりあえず考えるだけでも、それなりに選択肢はある。

夫うどん妻そば
夫妻うどん
夫妻そば
夫妻うどんとそばの交互
運任せ
うどんとそば以外

で、例えば、妻に遠慮することを美学とするなら、二人ともそばということが考えられて、それを周囲も納得する情景が浮かぶのだ。

ここでは、どの選択肢が望ましいという主張をしているわけではない。選択決定を周囲が納得することが重要な点だ。当事者と周囲という枠組みで、本来当事者の判断と周囲の判断は異なることが多いという暗黙があるだろう。では、周囲が納得するとは、どのようなことだろうか。

それが、当事者を尊重する心情ではないだろうか。当事者を代えて想像すれば、この解釈が理解出来るのではないだろうか。

別の選択でも、納得してしまうことも考えられるとしたら、さらにこの解釈は有効性があると思えるだろう。

では、なぜ納得してしまうのだろうか。それが本来求めるべきことなのだが、わかるはずがない、尊重する心情に解明もなにもない、と単純に考えてよいのだろうか。

整理しよう。

もともと、任意の一人の人間を理解することは困難だ。さらに、特異性が強い人間を理解することに対して、何らかの解明に躊躇してしまうことを、臆するという理由に求めてよいのだろうか。何事も臆することなく向かうことが重要なのではないだろうか。

恐らく、それがちりばめられているのだと思う。

要するに簡単に聖人化するようなことで理解を留めることに対して、何か挑発しているような気がしてならないのだ。

少し時間をおいて考えてみたい。

高倉健

今週、月次データの発表のラッシュになるようだ。これも判断材料になるだろう。足元で有力なのはDIだと思うが、あまり関心がないから感度に自信はない。

短期的視点としても、決定の対象時期は来年なのだ。判断は短期的視点が適切と言いきれるだろうか。

今朝の日経新聞の経済教室も参考になると思う。国民が重視して欲しいのは、最後の部分だろう。税と社会保障も同じ位置づけで、かなり一体で取り組む必要を感じる。

しかし、この書きっぷりに感心する。なかなか真似出来ないと思う。どこがかはちょっと言いにくい。

ということで、今週の月次データで上向きが確認出来るだろうから、先延ばし反対を掲げて総選挙に臨みたくなるのではないだろうか。

しかし、ネットのニュースで民主党の公約を見たが、集団的な安全保障の件には驚いた。

安全保障分野で現状以外を認めない立場ではない。別の考え方を受 け入れる手順の問題なのだ。政権を担う意味での問題意識なのだ。

会社の経営でも、以前の経営者と交代するとしても、手順を踏むだろう。例えば、他社との提携を中止するとして、他社の意向や中止の条件を確認して、不履行行為を回避することは基本的なことではないだろうか。

現在、外交と安全保障分野で協調して動いていることを、どのように考えているのだろうか。協調する外国は、信用しているはずだが、政権交代でそれらを粗末にされると思うだろう。つまり、視野が国際的視野ではなく、選挙の有権者でしかないことを表しているのではないだろうか。

こうなると、徳島で引退しようとする人を引っ張り出してこなければならないのではないだろうか。その辺りの情報に疎いから、的確ではないかもしれない。

このような不安定は、様々な余地を与えることになるのだ。

なんか、どれだけ反省してないか、それがよくわかって、脱力感しか感じられない。結局、自民党が失敗することを待っているだけの政党で、二度と渡さないように与党に頑張って欲しいと思われるだけになっているようだ。

さて、昨日と今日で、亡くなった高倉健の特集番組を見た。

色々あるが、すごいという言葉では追いつかなくて、なんというか、覚悟を感じさせることがあった。

それは、本人不在で数日すら中断させることをしないというものだ。色々な解釈があると思う。でも、本人の弁の通り、プロ意識からくるものだろう。

何かに徹底するからの凄まじさということでしか受けとめることが出来ないほど、分析対象としてはいけない聖域のような存在に感じてしまう。いや、多分適切ではない。分析出来るほどの分析能力に自信が持てないということではないだろうか。

まだまだ沢山あるが、決定的に違うと思ったのは、どのように他人に見られているか、というものをかなり重視しているということだ。その対極のようなものだから、その感覚を理解しようという気持ちにはならないが、それでもその徹底の凄まじさには、理解しようという気持ちにならざるをえないほどなのだ。

手足の動作を見られたいというようなものではない。多分、その存在から感じられるものに気を配っているように思った。どんな状況で、どんな部分に、どんな背景を感じて、どんな言葉、或いは、動作にするか、みたいなものだ。瞬時の判断だから、計算が間に合うはずがない。だから、計算ではなく、板についた思考が素で表現されるということだと思う。ということは、どれだけ深く普段から考えているか、がわかるということだ。

恐らく、そこまでの考えで普段を過ごしているのではないと思う。何かの徹底的な凄まじさ、鬼気迫る何かが突き動かしているような感じだ。それが何かは、わからない。

というより、これだけ徹底して脳内概念が局所的強化されるのは、その強化が強化自体の要因になるようなものでしか、説明がしにくいからだ。文学的には何かの言葉になるかもしれないが、多分それは遊離したものだと思う。現実に根拠を持つならば、経験で説明出来ることになるはずだからだ。その経験とは何かが決定的に重要なのだ。

想像すると、思いつめたのではないだろうか。仕事から離れた時の習性が思いつめることということだ。思いつめる対象は脳内にしか存在しないから、習性は常習を徹底することが容易になるのだ。つまり、強化が自然と徹底されるということだ。

この解釈は、かなり納得する。思いつめる何かはわからないが。自然な強化ほど強烈な効果はないことも、これで説明出来るように思える。

逆に言えば、強化方向が不適切であれば、危険性があるということでもある。

映画より、映画の裏舞台に興味がわく。素人では、映画からこのようなことを感じることが難しいと思える。いや、感じるから人気があると考えると、少数派ということになるのだろう。

不器用

三人の名前の本で、組み合わせに驚いた。というのは、二人は分野が同じようなものなので自然なのだが、もう一人が仲間入りすることが想像出来なかったからだ。

なので、事典で調べてしまった。なるほど、そこで接点があったことを思い出した。事典で確認しなければ、驚いたままになっていた。

元東ドイツの議長の話で、どこかの事情に似ていると思った。状況を変化させる危険性と変化させない危険性では、biasが働いて的確な判断にならないのだろう。

ロシアの話でも確信したが、やはり実感出来ないということに尽きると思う。だからこそ、交流が欠かせないのだ。

実は、情報操作を感じている。理系方面ではなく、別な方面への誘導のようなものだ。

既に交渉を放棄していることに言及している。知らないふりも、なるべくしないことにしている。理系方面は、実は積極的に関心があるわけではないのだ。だが、気づいたら言う義務感を感じるということだ。

積極的に関心があるのは、新聞に出てくる記事のような社会全体だ。だから、新聞を読むことが大好きなのだ。という意味で、多分誘導されていると想像する。

有名俳優が亡くなって、ある店との商品での交流の紹介に触れた。その一途な何かが心に響いてくるような感じがする。

この一途な何かは、様々だろう。というより、同じ映像を視聴しても、感じるものが違うと思う。もしかしたら、具体的に経営問題を理解して、その指摘をしただけかもしれない。でも、恐らく味覚情報から言う義務感を感じたというだけのことで、子どもの純粋な言葉のままでは立場が許されないという、どこか逡巡したことがあったのだと思う。だから、直接の交流ではなく、落ち着いて届くものに限定したということだろう。つまり、そこまで配慮しているということなのだ。

酔っているから、上手な表現にならない。仮に、直接出向いたとしよう。その場合、本人の登場ということが重視されて、届いて欲しい願いはどこか置き忘れてしまうことが想定出来るだろう。そのいわば雑音を排除した行為ということなのだ。

そこまでの配慮をどれだけの人間が実践出来るだろうか。もしかしたら、本人の登場で店の売り上げに寄与することを店の側は望んでいるのかもしれない。でも、その安易な道を選択しないことを店に暗黙に願っているのだろう。

短期的成果を望むことが多い世の中で、貴重な人間を失ったと思う。

短期的成果で思い出したが、種類株の転換制度は有効と思う。例えば、保有が一定期間経過したら、配当が割り増しとなる種類株に自動的に転換するというような制度だ。売れば初期種類株に自動的に転換されるということだ。

この制度で、長期保有とされる年金の性質が強いマネーは集まってくるのではないだろうか。

くどくど、先延ばし反対キャンペーンをしよう。

来月には、日銀短観が出るから、日銀シナリオの言及が読めるはずだ。つまり、追加緩和の影響に言及する可能性を指す。この短期間での機動性発揮は夢物語だろうが、あるという仮説に従ってくまなく探すことが肝要だ。あれば、先延ばしの根拠を崩す論点になる。つまり、選挙で先延ばし判断の間違いを指摘することが出来るということだ。

さあ、野党に有利な先延ばし反対と思えないだろうか。

この誰も見向きもされないことに頑張ってしまうのは、不器用だからだろうか。

気づいたら、義務感があるというような趣旨のことを言ったが、コラッツ問題は、少し進んでいるが、紹介が難しいのだ。

なにしろ、スマフォの入力は大変手間がかかるのだ。不器用だからだろうか。