隣の芝生は青い

なんとなく、オーケストラと流行歌手のような違いを日本の会社に感じる。行儀の良さ、つまり会社の品位を落としてまでがめつく営利に走ることを避けるという見方の一方で、勝負どころを伝統的な場所においておく、みたいなところが、オーケストラに似ているように思っている。

そこへいくと、がむしゃらにビジネスを追求する仕事ぶりは、売れることが何よりの評価としているような流行歌手に似ていると思える。

ここでは、オーケストラと流行歌手に特段の意味を持たせてはいない。単純に、オーケストラはクラシック中心で新作というより、演奏そのものが本分と考えているとみなして、流行歌手は歌の技術の追求というより、歌の独自性を本分と考えているとみなしているだけだ。

つまり、行儀の良さと本分とする領域の違いみたいなところが、日本の従来型企業とそれと異なる企業との違いに似ていると感じている。感想の根拠を示すのは難しい。

似ているとして、片方ずつの良い点を考えてみる。どちらにも、それなりに評価すべきことがあるだろうという前提がある。

行儀の良さは、周囲との競争を演奏に求めて、それ以外の部分では協調的のような印象がある。つまり、演奏技術や演奏方法の工夫に努力することを本分と考えて、本分以外では環境に準じる考えのように見える。本分とする領域は、既に触れたが演奏そのものということだろう。

行儀の良さより、楽しめることを追求するという見方をすると、真摯とする対象は、観客の支持ということになるのだろう。これはこれで、説得力があると思える。観客が支持する可能性の為に、新作とかそのような努力が観客に歓迎される実績を根拠として、流行歌手の活躍が説明出来るだろう。

従来型企業に対して何かを主張している訳ではない。単に本分とする領域として考えただけだ。ただら領域の拡張は、頭の体操として考える価値はあるような気がする。

行儀の良さを忘れてはいけないかもしれない。そこはあるが、行儀の良さに縛られて、肝心なことを失う愚は避けたい。

多分、多様性が求められる理由の一つの例のように思える。つまり、どちらも正しい。どちらかだけが正しい訳ではないと思う。ただ、その方向性での適切な努力があるようなものだろう。

その上で考えるのは、市場の拡大が見込めそうにないのに、参加企業が多くて、競争が激しいと思えることを言いたい。国内において、拡大する市場は限られ、そのような市場ではこのような効率の悪さは見られないように思える。

この見方が正しいとするなら、その理由は何だろうか。端的に市場に魅力を感じているからだろう。つまり、市場評価の適切さを懐疑的に考える必要があるのではないだろうか。仮に、懐疑的な価値があるなら、その評価は何に求められるだろうか。

一つは、異なる市場同士で比較出来ることだろう。例えば、参加企業の総資本利益率の比較とかで見られるかもしれない。仮に、客観的に市場の魅力を評価して、国内市場から退場すべきと判断するなら、使用資本を絞って売り上げを少なくしたり、国内の別の市場か他国の市場に当該部分の資本を投下すれば良いと判断出来る。

冷静に判断する人間が必要なのだろう。どうしても、当事者としては既存参加市場を否定的に評価することは困難だ。人間の頭脳のバイアスを冷静に見つめる必要がありそうな気がする。

成功体験が最も困難な退場の障害だろう。難しい。

胃袋の市場と見ると、外食産業も家庭料理も弁当も一つの市場と見なされる。しかし、外食産業には、単純な胃袋とは見なせない娯楽性や社交性を持つ部分市場があると考えられる。それを独立した市場と見るか、胃袋の市場と見るか、多分どちらも成立すると思う。だから面白いとも言える。