定着を考える

定着とは、何だろう。対照的な言葉は、安易に考えれば、未定着だろうか。

一人だけの支持とその一人以外の疑念では、定着とは言えないだろう。逆に一人だけ疑念を持つが他の全ての人が支持していれば定着と言えそうだ。では、人数だろうか。

この種の定義には懐疑的な立場なので、定義めいたことを出したくないのだが、目安として提示してみよう。

定着とは、それを事実として示すことが出来たり、疑念を払うだけの根拠を示せれば、その示された説明で納得することが出来れば、定着と考えられる。

この言葉をそのまま使うと、誰か偉い人の言葉で、定着とする考え方も成り立つ。この点が気にくわない。歴史から学べば、批判的になると思うのだ。

少し現実的に考えると、確実に納得するまで全ての人が努力するという想定は、困難だろう。だから、代替手段が必要とされるのだろう。

ここに、情報の伝達経路を、情報の非対称性を絡めて構築する意味があると思う。さらに言えば、脳の強化と似ていると思うのだ。

定着の対象も、恒久的ではなく一過性のものもあるだろうか。時期が来れば、事実ではなくなるとすれば、定着という言葉は適切ではないように思える。

先の定義では、どうなるだろう。その時期が到来する迄の時限という条件付きになるのだろう。それを認めない立場もある。

他人の手によって再現性があるならば、定着の道は近いのだろう。