中国の求心力

日本の戦国時代は、豊臣秀吉の天下統一で終わったと考えられている。それを否定するつもりはないが、徳川の世になって安定したことをどのように理解すればよいだろうか。

本当のところはわからない。しかし、豊臣では求心力が出来なかったが、徳川では出来たと理解すれば、説得力がある。

これと似ている点で求心力を求めているのが、現在というより天安門事件以来の中国ではないだろうか。もしかしたら、文化大革命からかもしれない。

便宜的に日本が利用され、領土では強硬なのも求心力の役割になっているからだろう。

この考えが正しいとすると、何か本来的に求心力となり得るものを見いだせば、周辺国及び日本は平穏になるかもしれない。

と考えると、民主的政治のように思える。何か人為的な発想では、破綻すると予想するからだ。

この相矛盾するかのような強硬姿勢と民主化は、両立しないのだろうか。それはわからない。

強硬姿勢の民主化はあり得る。というより、日独という歴史で証明しているようなものだろう。同じ道を踏まないように国際社会はしっかり協調する必要があると考える。日本の為という以前の話だ。