ガラスの天井

活躍する女性の話で、よく聞くのは見えないガラスの天井というものだ。

女性が昇進するとか、任される仕事の大きさに、明確な限度ではなく、見えない限度が設定されているかのように男性に比べて活躍を限定されていると感じるようなことをガラスの天井と称していると理解する。

これと似たような話には数多くあるが、公は大丈夫で民では駄目というものがある。似ているのは、個別的判断としてではなく、根拠のない予断で判断しているということだ。

歴史を振り返ってみても、合理的判断、つまり予断を排除して求める力だけで採用している経験を学べると思う。

これを考えると、判断を自身で行う習慣が身につくことで、予断が排除されて合理的判断が多数になれば、必然的にガラスの天井はなくなるという甘い考えを持つ。

野球で坊主頭以外は真面目に練習しないということを聞いた経験はないが、坊主頭しか認めないのはガラスの天井だろうか。単なる制服の扱いというものだろうか。大げさに言えば、人権をないがしろにしているようなものだろう。人権を大切にすることを教育が放置していると言えなくもない。

パワーハラスメントもガラスの天井のようなものだろう。一方的に理不尽な価値観を押しつけているという状況は、ガラスではなく身勝手な天井というものだろう。

くどいようだが、説明を無視され続けた経験も、ガラスの天井かもしれない。どれだけ、お偉いさんなのか、わからないが、一ミリも説明を受けつけないのは、見えない天井に思える。ん~かなり心の傷を受けているような感じがする。

今でも支持されているかもしれないが、EQというものの一部が大切だと考えている。人間、一個人として理解することは大変難しい。個別の状況を的確に把握することを求められるからだ。だから、省略して個別としないとする考えと、適切な努力で個別判断という考えの両極端の立場があるのだろう。ここでは、前者が不幸な事態を招き結果的に失敗に通じて、後者が成功に通じると考えている。

このようなことが本当であるという、失敗と成功の経験を積んで、理由に納得すれば、ガラスの天井はなくなっていくと考えている。

失敗とは、例えばガラスの天井がある会社の実績が悪く、ガラスの天井がない会社の実績がよいという実感を持つことだ。例えば、女性、外人、業界外出身者、若者といったものが挙げられる。

つまり、ガラスの天井とは、よく言えば保守的な人たちによるものと言えなくもない。保守的になるべきものを間違えているのかもしれない。