判断即応性

世界の舞台で走った経験は、何かに活きると思う。百メートル走は東京オリンピックに期待する。

追尾機能が常識なようだ。高度6キロは10キロくらいからみれば安心してしまう。よく証拠を掴めたと感心する。

自転車を運転している人に、右と言ったら右の方に向きを変えることと理解することが多数だと思う。勿論、他の解釈を排除するつもりはないが、走行安定の為に右に身体を動かすという解釈もあるだろう。

よくある同形の話が含まれると考えられる。走行安定の為に、という判断を運転する者以外が行うことを考えると、素直に受け取れるだろうか。走行安定の為の情報は運転する者自身の身体状況がほとんどだから、他人が正確に理解することは難しいだろう。

これを例えば会社経営に置き換えてみよう。会社内部の情報とか外部からは把握しにくい情報で判断するものと、外部からも判断出来るものがあると思う。

その対象は時代とともに変遷しているのではないだろうか。変遷していると考えるのは、社長の忙しさに表れているように思えるからだ。

仕事の着手と完了という期間で考えると、その間に判断を変えざるをえない環境の変化ということは様々存在する。構成要素となる部品や関係する取引先は多数で複雑になっていく傾向を認めれば、理由は明らかとも言えるだろう。

自転車の例で言えば、走行安定の判断が複線化しているということと理解出来る。

その為、つまり複線化する判断の為に必要なこととは何だろうか。一概に括ることは出来ないだろうが、全く出来ないとも言えないだろう。

自転車の例で言えば、平均台の上で均衡を保つ訓練が活かされるということは想像出来る。しかし、自転車が乗れると大型オートバイが乗れる訳ではない。だから、想像出来ることと限界もあると考えられるだろう。

他の業界で活躍した経営者が別の業界の会社経営でも活躍する例を見て、そのどちらも考慮する必要があると思う。平均台での上達が活かされる場合と、自転車の乗車が大型オートバイでは難しい場合があるということだ。

経営者という視点だけではないと思う。

情報流出の問題があったが、その会社の本業なのかどうかを問い直す必要があると思う。これは個別の会社の話ではない。どれだけの経営資源を投入すべきか、或いは委託受託の契約として括り出す事業なのか、という観点が必要なのだろう。子会社として誇り高い仕事を執行する責務を感じるだけの経営資源を与えているならば、品質問題を含めて本業なのかもしれない。食品工場の子会社も同様の課題を抱えていると思う。

ある意味で先進的な取り組みは、最新鋭電子機器が参考になると思う。本業という幻影にとらわれない経営判断を行っているという事例と理解するか、とらわれていないという確信を根拠もなく抱えるか、みたいなことかもしれない。

数人の気心の知れた範囲で新規事業の話で盛り上がったとしよう。まず、会社を退社して起業することを当たり前のように考えることを想像出来るだろうか。それが当たり前の感覚の人達との違いを本気になって探す気持ちにならないのは想像出来ない、つまり所詮他人事と感じているからだろう。

形式を整えたというのは、ある意味でアリバイ工作でしかない。地方でよく聞く話に立地整備がある。整備までの努力を誰に対して訴えているのだろうか。空き地のままなら、次の選挙対策という勘ぐりをしてしまいそうになる。

要するに、結果に達しない努力をどのように評価するか、ということに置き換えて考えることになると思う。途中までなら最後まで頑張るのか、結果が得られそうにないから早めに断念するか、そのどちらでもない状態は問題と感じないのだろうか。

他人でも理解する進む道の課題なのか、安定走行の課題なのか、明確ではないから難しい。時代変遷とは、知らぬ間に課題の括りが変わっているということかもしれない。