生産性

デフレの要因を生産人口の減少に求めるような話もあるが、現在の先進国での低インフレ状態を考えると要因を別に求めることになると思う。

経済成長を考えた場合、各生産要素に分解すると、やはり生産性向上こそ本命と思われる。この生産性向上を考えると、既存産業の生産性という観点と新規産業という観点があると考えるのだが、今朝の日経の経済教室は、言葉は違っても内容は同じことと理解する。

最終消費財の観点で新規ということも勿論排除しないが、消費の総量からみれば、やはり少ないと思われる。つまり、複雑な過程を経て最終消費財を生産するとみるから、複雑な過程がより複雑になることが主流になると思う。その意味で、既存組織内に閉じられるより、組織の枠を越えて複雑化に対応することが予想出来る。これも今朝の境界問題と同じことだろう。

足し算で、一から百までの合計という仕事を仮定して考えてみよう。

既知の方法が一から順番に加算していく方法とするなら、生産性向上とは、その方法での向上とその方法以外で向上することがあると考えられる。

既知の方法以外の選択は、検証とか生産成果が確からしいことが必要になるので、直接的な生産にはならない。それが研究開発とみなせる。

既知の方法での生産性向上が見込めると、新規の方法を探ろうという考えはなかなか浮かばない。ところが、他の会社での実績を知ると、導入することは容易になりやすい。

この生産性向上が、経営資源が限定された組織内で探索することが次第に難しくなる事情は、実際の向上の歴史を振り返ればわかるだろう。

等差数列の合計という方法を革新的方法と仮定してみよう。特許で保護することを除外すれば、飛躍的な生産性向上に魅力を感じるから導入するだろう。従って、革新的方法を生み出す組織にとって、導入による収益が見込めるなら、研究開発に努力することが理解出来るだろう。

直接的な最終消費財の付加価値向上を否定するつもりはない。PBその他で実績があることは否定出来ないだろう。しかし、くどいようだが生産性向上の本命は生産財とサービスを対象にするものと考えている。

結果的な最終消費財の付加価値向上かもしれないが、長期的には複雑化していくという認識を前提にすると、原材料から小売りまでの過程と部品が複雑になるという理解しかないように思えるのだ。

品質保証という付加価値かもしれない。環境問題やその他の社会的課題解決という付加価値かもしれない。恐らく、そのようなものを付加価値と認識するには社会的規範意識の変化が必要になると思うが、誰かの主導に導かれることではないと思う。

景気循環には色々な見方があるが、長期変動には時代の変化という要因があるのではないだろうか。時代の渦中にいると認識することは難しい。その変化を正確に捉えることも難しい。だから、ある程度の失敗を織り込んだ多様な試みが必要なのだろう。

先の等差数列の合計のような革新的な基盤の変更を夢想することを排除するつもりはないが、モノの動きを基準に捉える見方では限界があるように思える。モノの見方の見方というメタ認識的な話のような気がする。

説明に納得してないのは、理解が足りないのか別の理由を確信しているからなのか、このもやもやした整理仕切れていないことは、少し放置しておこう。