円高

今朝の大機小機には同意するところが多いのだが、国債の利払いが増えると財政支出の抑制インセンティブが働くというところには、なんというか思わずにやけてしまった。

長期金利について考える前に、誤解のないようににやけた理由を説明する。

抑制が働くのを政治家とする解釈が一般的だろう。政治家は支出が増えることを歓迎しても減ることに抵抗する性分があると思う。つまり、政治家の良識派を信じるようなものだろう。そんな現実的でないことを考えているというより、金融にばかり重きをおいているから、ついすべったのだと想像するのだ。それがなんともいえない。

長期金利は色々な要素で決まるが、政治家の感性で国債発行量を捉えると、インフレになれば問題ないみたいなところがある。というより、これだけ膨大な発行量に責任を感じる節がみえないのだ。それが不信感を持つ理由なのだろう。

出口の時期についてはコラムより長い時期がよいと考える。つまり、円高に振れることに見解の相違があるというようなものだ。

円高云々よりも、どこで稼ぐとよいかは企業の自由で、国内での投資の魅力がないことが問題であって、企業の問題ではないと考えている。だから、円高でも稼ぐことを考えるはずだから、円高をあえて回避する理由にはならない。勿論、急激な変化は望ましくない。

もう一つの文脈として、今後主力になりうる産業は、資産とか固定的では難しいと予想している。変化が激しいから即応性が求められると思うので、経済の変化にも多少耐性が結果的にあると考える。円高も経済の変化の一つだろう。

数年以上の時間感覚の産業も必要だが、変化と複雑化という点で対応能力が充実しないと市場で淘汰されると思う。それだけ国際的な競争で残るには必要なことだろう。

そんな認識で考えると、税制や金利、インフレ率、為替レートといった経済環境への対応能力が必要であるとともに、急激な変化を抑止することが求められると思う。相反するようなことに見えるが、多少の変化に注ぐ力と急激な変化に注ぐ力は違うという認識があるからだ。

確かに資産バブルへの懸念はあるが、金融政策の対象と考えるか、という点で捉え方の違いがあるように思える。影響を無視するわけにはいかないが、制御の責任範囲とは思えない。枠組みの構築の問題に思える。

ただ、現在の金利がわからない。