中所得国

解説記事を読んで、結局教育の効果に期待する必要になると思った。しかも、国の所得にかかわらず必要ということだ。

義務教育以前に貧困の問題があるかもしれない。解説にあったように、資源が少ないかもしれない。豊かな国であっても、成長の対象がインフラ重視か、高付加価値産業重視か、みたいな違いがあるだけで、成長の促進要因で共通するのは教育のように思える。

教育も広い意味がある。単に知識を獲得することだけではなく、豊かな文化的背景が基盤になると思うので、それらの発達につながる醸成環境を広く教育と解釈したい。

訓練とか研修という言葉には、実際に役立つことを習得する意味が強いような感じがする。それはそれで否定するつもりはないが、実際に役立つことに限定する必要はないということで、さらに広く考えたいということだ。

豊富な資源で潤うことは、悪い意味で満足してしまう可能性があるのだろう。よい意味で満足しないこと理由は、上の豊かな文化的背景があるからと理解する。

豊かな文化的背景とは抽象的だが、豊かな文化を享受することが欲求の対象になるようなものを指す。社会が発達してなくても満足するような欲求というより、発達しなければ満足しない欲求と言えるかもしれない。

感覚で言うなら、豊かに発達した社会は成長の微分の傾斜が強いという感じだ。

さらに言うなら、判断の材料の広域化も教育効果の一つと考えているが、昨今の気持ちに余裕がない観は懸念する。昔なら、社会の指導層の教育目的の一つだったのだろうが、その倫理観みたいな直接的教育というより、文化的背景みたいなものでの教育効果に期待したい。

計測することが困難だから、教育とその成果の因果関係として結びつけることが出来ない。だから、客観的に効率的な方法を確立するという努力にはならない。だから、直接的な方法にはならないと考える。

当然と認識するとよい点に気づきにくい。当たり前と考える世の中は、実は整備され発達した社会で成り立っている。大切にすることと修正していくことがわかることはすごいことなのだろう。