自動販売機

元総理の話で、やはりそれなりの見識があると思った。問題は支持層のようなものだ。喩えれば、小さな組織なら手で掴めるものを大きな組織ほど色々介在して掴むことの実感すら持てないようなものに思える。

今朝の解説記事で連想することがある。農業の市場の大きさは、エンゲル係数制約みたいなもので、そのような制約、クリティカルな制約を認識する必要があるということだ。

まず、経済成長と比較する必要があるのではないだろうか。積分としての市場の大きさではない。微分としての市場の成長を指す。

小売りは難しいと思う。小売りの対象がそもそも限定出来にくくなっているように思えるからだ。

形態の競争にみえるが、基本的に売るモノ、売り値、場所のような要素の色合いがそれぞれに競争力の源泉のような分析を考えてしまう。多分、そんなところで固定して捉えると見落とすような気がする。

だから、はっきりわかることで変えていくことがよいと思う。

小売りの品質とは、売るモノ自体の品質ではないという前提で考えると、何かの間違いを炙り出すことになる。間違いとは色々あるが、対取引先という発想より対顧客という発想だろう。

何らかの表示の間違いや会計の間違いとか色々あるだろう。

誰かの話で、釣り銭の間違いをなくすことから始めるみたいなことを言っていた。不足しても過分でも次には来なくなるという理由だ。現代ではない。昭和以前の話だ。

ただ、この釣り銭間違いは、今でも通じるのではないだろうか。過不足に気づかないことが多いだろうから、少なくなっているだろうが、間違いに気づくと通じると思う。

釣り銭だけではない。個数の間違いや売り場の値段と異なることも含まれる。

そんなことを考えると、自動販売機みたいなことが顧客に抵抗を感じなくなると、そのような品質の課題は解消に向かうだろう。結果的に費用削減になると思う。

単純作業を自動化することという観点で考えると、小売りに限らずサービスは対象になると思う。

洗髪が理容の免許で難しいかもしれないが、シャワーより手軽に出来るとしたら単純作業が置き換わっていくと思う。

高付加価値というものを人手に求めるとしたら、それは制約になるのではないだろうか。保険のような分野に限らず、一定の形式で決められるものは対象になる可能性があるということだろう。

電車やバスの電子での決済は、切符購入の利便性を劇的に変えたと思う。高齢者にとって行き先を確認して、正確な金額を適切な機械操作で購入することを回避するという利便性があることに気づくだろう。

機械化や自動化は、若い人には抵抗は少ないかもしれないが、昔と比較して操作が難しいと感じるのは、年齢が高くなるほど感じると思う。その抵抗感を丁寧に払拭すれば、小売りでの買い物も利便性が向上すると思う。

例えば、健康に関する商品のようなものは、人目を気にする人もいる。大人用オムツを想像すれば理解しやすいだろう。そのような毛細血管みたいに丁寧に隅々まで配慮することで、色々な変化に通じると思う。

貸しロッカーも預け入れと持ち出しを別にするサービスがあれば、かなり展開が異なるように思える。私書箱は一種のそれかもしれない。念頭にあるのは、宅配便だ。自宅付近の特定の場所に限定しない。出張先とか活用は広がるだろう。

その意味でホワイト情報は基盤になる。匿名性のあるホワイト情報でも構わないだろう。

なんとなく色々ありそうだ。