創作物感想

ここでの創作物とは、ノンフィクションではない小説や映画に限らず、文芸作品とされる短歌や俳句も含める。そして、さらに拡大解釈して抽象的表現も含める。

自然界の真理の追求の手法で考えると人間の介在をどの立場とするか明確にする必要があるだろう。ところが、この場合はいわば真理は人間の創作物にあるようなものだ。だから、どのような構図で捉えるか、それ自体に多様性があると思う。

創作物の創作者を対象にあれこれ考えることもあるだろう。創作者が誰かを不問として、創作物自体に限定して考えることもあると思う。また、その創作物や創作者への反応に関心を持つことも考えられる。

前回の無制約思考は、思考だけなら開示しない限り何らかの問題を他人に作用することはないことを前提として、色々な限界を突破することが出来ることを主張している。その構図通りと言えるようだ。

だから、解釈に唯一を求めることが不適切に感じる。

そして、他人の感想に対して同調することもあるだろうし、違和感を感じることもあるだろう。他人と異なる感想にも色々あると思う。理解するが同意しないことはその典型だろう。

経験上、感性に感心することが多い。予想の範囲外には特に関心を持って感心する。

戦後の元首相が、有名になる前の別の元首相に勘がよいという評を持っていたらしい。

この場合も拡大解釈した創作物と考える。勘とは何だろう。忠実に解釈する態度も尊重するが、これこれの解釈をするということを認めるという拡大解釈を指す。だから、この話を聞いて直感したのは、政治的効率、つまりどこにどの実力者がいてどのような働きかけをすれば目指すことが実現出来るかを把握しているという意味と解釈した。勿論、それ以外の情報がないから創作物への感想と同じようなものだろう。

逆にわからないこともある。元FRB議長が直接接した大統領の中で、ニクソンクリントンが頭がよいと評したことだ。まず、頭がよいとはどのような意味だろうという疑問と、それと同じ意味のように元大統領のどこに関心を持ったのだろうという疑問には、全く歯が立たない。

このような歯が立たないことについては、関心を低層で常駐化して、関連しそうな情報に接したら貪欲になるだろう。

感想を持つということは、感覚の程度に理解していることになるだろう。つまり、理解が深いことが想定出来るということだ。だから、教育、特に初等教育には有効と考える。負担になる長い物語ではなくてもよいと思う。

そして、考えるのは、創作物への感想に限定しない反応には、創造性を育む仕組みのようなものがあるのではないか、みたいな仮説だ。これはこれで成立するような感触を持つ。どのように要素を分解するが難しい。

マンガの影響は大きい。人気のないスポーツも、マンガによって注目されることはよく知られている。囲碁の人気マンガの影響で小学生で馴染むのも少し昔のことだ。

ノーベル賞をとるはずだった有名小説家も、連載中のマンガの続きが気になって編集部に押しかけたという伝聞もある。それくらい影響のあるマンガは、文化の一端を担っているようなものだろう。

そういえば、ドラッカーをマンガにして人気になったこともある。知らないだけかもしれない。


ドラッカーを読んで、感想が持てるなら、それなりに理解するからだと考えるので、やはり有効かもしれない。ただ、マンガで有効でマンガでないと有効ではないとは捉えたくない。敷居の高低と考えたい。

感想だけを掲載するサイトがあるような記憶があるが、記憶違いかもしれない。しかし、存在するなら、創造性開拓に有効と期待したい。

政治家への感想は、進行中については別の観点が重要になる。しかし、過去なら、検証の意味もあるかもしれないが、この回の意味でも有効だろう。意外と国会議事録が探索対象になるかもしれない。それはそれで歓迎したい。

今のところ、創作物をそれ自体に娯楽の対象とする見方がとりにくく、裏方事情に関心が強いと純粋な感想にはなりにくい。それは不幸かもしれない。