直接投資

今日はメモしてみた。

移転で地方税を優遇する話がある。中身はともかく、努力に敬意を表して考えてみる。ただし、地方の競争でよくない政策は、ゼロサム政策と排他的政策だ。ゼロサム政策とは、他の地方の損が自分の地域の利益になるというものだ。排他的政策とは、地域生産品だけを優遇する政策だ。つまり、ゼロサム政策といえる政策なのだ。

しかし、国として都を優遇する政策があることで、必ずしもゼロサムとは言えない。総務省管轄案件と国土交通省案件の抱き合わせでゼロサムを回避出来る。しかし、小委員会が課題になる。

昨日、熱を帯びて冷静でなかったことがよくわかった。本来書きたかったことを忘れていた。簡単に言えば、人事評価に工夫がないということだ。有名なアニメ監督が映画会社でセル画を書いていたが、他人より枚数が十倍くらい描くのに給料は変わらないことを不満に社長にぶつけたらしい。しかし、社長は理解しても変えられないという返事だ。

枚数だけで評価すると、労力が余り必要のないセル画を取り合うことになることは予想がつく。努力した分の何かが得られれば頑張るだろう。少し前に、やはりセル画作りの有名な人が亡くなったが、その人を信奉する人がいるくらいだから、すごい人なのだと思う。しかし、外見として、つまり収入の面では良好とは言えない状態だったらしい。それでも頑張れるのは、恐らく誇りを感じていたのだと思う。これはこれで正確な情報がないから、なんとも言えないが、頑張る部下と怠慢な上司の例は沢山見る。その構図に理不尽さを感じて熱が入ってしまったのだ。この構図は中国で社会として見られると思う。ある程度偉くなってしまうと無批判の地位を獲得してしまうのだ。

まあ昨日の続きは止めよう。別の機会にしよう。せっかくメモしたのだ。

卵子凍結という会社の待遇に対する批判は新鮮だった。そのような観点があることに気づかなかった。生物科学の進歩で人間の考え方が追いついていないのだろう。なかなか難しい。

コアコアの数値は考えを確かにしたと感じた。考え方の立場は、どちらかと言えばそっち側と思っているが、始まった以上は封じるつもりだ。

政治家の金の問題は、国民が判断すればよいという立場だ。政治の問題にするなら、個別ではなく制度として取り組むことが本来だと考えているからだ。

例えば、過激な案として、衆議院は全て小選挙区にして、次点を準議員と扱って収入が得られるようにすれば、実質的な政治活動は出来るだろう。選挙対策より政治活動に専念出来る環境になると思う。選挙対策のような使途があるから話で難しくしているのではないだろうか。

さて、出口だ。今日の解説は、少し前の防災の専門家の話以来の感動だ。直接投資の余地がある以外は言いたいこと以上に述べてあるので驚いた。ウクライナの原因が、そんなところにあることも初めて知った。批判する姿勢に見識を感じる。

短期市場を制御出来るのは当然として、長期は難しい。それがまず課題だろう。そして、今日の解説のような課題に対しては、無力感を感じている。要するに、適切な方法が浮かばないのだ。

読んで思ったのは、新興国への投資として、直接投資は流動性に乏しいから、課題のような問題の要因にはならないのではないだろうか。だから、直接投資に限っては、制約を設けず、証券投資のような類については何らかの制約、例えば緊急時には上限を設けることが出来るとか、そのような方法が考えられないだろうか。

緊急時でなくても、平時から一日単位での天井でもよいかもしれない。これで投資魅力が減じると思うのか、どうかはわからない。でも緊急時には有効だろう。

この手を考えたら無力感は解消した。なんと都合のよいものだ。

長期は難しい。というより、国の事情に依存すると思う。米国の場合は、国外保有者が多いことが救いなのか、その逆か、そんなところがある。救いだとすれば、真似をすることは著作権のない世界だから許されるだろう。救いにしか思えないのは、比較対象が日本だからかもしれない。

あとはバブルの懸念だが、これは読んで政策担当者側の経験が、慎重な言い回しを身につけていると思った。勘違いかもしれないが、微妙さを感じるのは、それしか思い当たらないのだ。なかなか面白い。

米国と比較して、新興国への配慮が少ないという点と、国内保有者が大部分という点が違うのではないだろうか。長期金利に注目が集まるのも仕方がないかもしれない。それと、為替レートだ。ドルはほとんど無視出来るだろうが、円は影響が大きい。これを忘れていた。

その時の状況で難しさも違ってくる。程度もそうだが、方向もだ。