優勝32回

国防長官の件は直感的に危うさを感じる。なんというか、本来は顧客の為に頑張る必要があるのに上司の為に頑張ってしまっているような感じだ。

サービスの企業物価に注目した。なぜだろうか?広告とかの説明はあったが、どうなのだろうか。

有力野党のホームページと数人の個人ホームページを見た。なんとなくわかった。組織の指揮系統以外の無責任な横槍があるのだろう。そんなことをためらわずに出来るのは、会社とかの組織に属して働いたことがない、いきなりの創業者のような存在なのだろう。執行部の失敗は執行部の責任で、成功は自分の功績とするような、まあ白アリのような存在なのだろう。

世界的な自動車関係の創業者が、部下と技術的な対立となるが部下の実績を認めて引退したことは有名な話だろう。潔さがなくずるずると地位に留まって汚名の記憶しか残らない人は沢山いるから、それを意識したのかもしれない。さて、誰が参考にするのだろうか。

今のところ、先延ばしでも確実に増税を約束する政党の方が信用出来ると思う。財政の信頼性の観点で、先延ばししかなければ、確実な増税に頼るのは自然なことだろう。

元参院議長へのコメントに何かにじみ出ていると思った。それが結実することを想像したい。

白鵬が優勝した。優勝の後のコメントで、なぜか日本人以上に日本人のような感じがした。聞く立場としての日本人としては誇らしい。争う立場としてはどうだろうか。

この時の優勝回数が並んだ大鵬親方の奥さんの言葉に感動した。これは相撲だけではないと思う。

例えば、ある技術で秀でたとして、それの技術指導を他社或いは他国相手にして、指導した技術では並んだとしても、尚一層技術を進歩させて指導した相手より秀でた状態にするようなことと似ていると思ったのだ。

あるIT企業が、自身の経営ノウハウを惜しみなく公開して、他社の経営の参考になることを願っているような話と似ているだろう。

競争の結果だけに着目すると、情報提供しなければ有利なのは当然だろう。情報提供しても、尚競争優位であることへの自信の表れという解釈が自然だ。

社会全体としては、情報提供が広く行われることがよいのだが、確立過程の努力への評価という意味での特許の存在は忘れてはならない。努力誘因の意味だ。

最近の新聞へのコメントに躊躇する。総選挙の時期ということもあるから、なるべく距離をおく方がよさそうだ。ただ、増税を掲げる政党を待つことにしよう。

さて、ダブル合格での偏向を感じてしまうのは、機動的な講師陣にあるのかもしれない。それを実感した。この差は感度の差だろうか。悔しく感じてしまうのは、おかしいのだろうか。

しかし、無批判が保証される状態は、とかく問題になりやすい。自浄的に批判されるなら、問題を防止出来るかもしれない。安定的なニッチ市場は、その典型だろう。