探求

追加緩和の時の会合で、想像通りかなり突っ込んだ議論がされていただけでなく、中断して連絡したことには驚いた。

そう言えば、OPECで減産の予想も出ているから、石油も値上がりするかもしれない。その要因でのCPI上昇は当然ありえる話だ。仮に、減産決定なら、注目すべきだろう。

今朝の新聞で色々と思い当たることがあって、少し慎重になることにしよう。

なんとなく読めるのは、公約を急いだ理由だ。振り切る意図があるのだろう。野党まっしぐらの道を選択している認識があるのかは、わからない。

前回から考えているが、何かに集中しているのは、番組でも紹介していたが、山本周五郎の何かのまとめ本だと思う。何度も読み直しているから、突き詰めることが出来るのではないだろうか。

例えば、夫婦のあるべき姿というものは多様だろうが、問いを制限すると見えてくるものがあると思う。

好きな麺類が異なり、夫がうどん、妻がそばもとしてみよう。問いは、夫婦で麺類の選択は何か、としてみると、とりあえず考えるだけでも、それなりに選択肢はある。

夫うどん妻そば
夫妻うどん
夫妻そば
夫妻うどんとそばの交互
運任せ
うどんとそば以外

で、例えば、妻に遠慮することを美学とするなら、二人ともそばということが考えられて、それを周囲も納得する情景が浮かぶのだ。

ここでは、どの選択肢が望ましいという主張をしているわけではない。選択決定を周囲が納得することが重要な点だ。当事者と周囲という枠組みで、本来当事者の判断と周囲の判断は異なることが多いという暗黙があるだろう。では、周囲が納得するとは、どのようなことだろうか。

それが、当事者を尊重する心情ではないだろうか。当事者を代えて想像すれば、この解釈が理解出来るのではないだろうか。

別の選択でも、納得してしまうことも考えられるとしたら、さらにこの解釈は有効性があると思えるだろう。

では、なぜ納得してしまうのだろうか。それが本来求めるべきことなのだが、わかるはずがない、尊重する心情に解明もなにもない、と単純に考えてよいのだろうか。

整理しよう。

もともと、任意の一人の人間を理解することは困難だ。さらに、特異性が強い人間を理解することに対して、何らかの解明に躊躇してしまうことを、臆するという理由に求めてよいのだろうか。何事も臆することなく向かうことが重要なのではないだろうか。

恐らく、それがちりばめられているのだと思う。

要するに簡単に聖人化するようなことで理解を留めることに対して、何か挑発しているような気がしてならないのだ。

少し時間をおいて考えてみたい。