健全野党

今朝の記事で予想通り、少しCDSが動いているようだ。明日の月次データを確認したい気持ちもあるが、デフレを抜けるロジック自体での争点にならないことが、どこかおかしいと思う。要するに、純粋な経済分野での議論になっていないのだ。

極端に言えば、抽象的な意味での消費財の上昇と実質的な所得増の関係をどのように考えているか、また、所得増で既存消費財の需要と新規代替消費財の需要をどのように考えているか、ということだが、なぜ名目所得増がデフレ脱却になるのか、その説明としては記憶にない。まあ、総選挙という意味では、それ以前のどこか根拠を失った話になっているから、正直なところ気持ちが萎える。

ここ数日のニュースで、有力野党代表が講義したが、歯切れの悪さに本音が別にあると感じた。つまり、根拠は感じたことだけで、本音を曲げる力学の匂いを嗅ぎ取ったという説明になる。だから、外れているかもしれないが、大きくずっこけているとも思えないのだ。

中国や韓国とは、こんな感じがよいという基本的な態度は、よくわからない子どもの頃の兄弟げんかと成人のつきあいということだと思う。兄弟げんかは、おやつのささいな違いでも起きる。しかし、大人になってもそれを引きずることは極めて稀だ。

日本でも沖縄やアイヌといった少数民族の経験をしているが、当時と現代では異なるだろう。それと同じことという意味だが、受け止める相手にとっては軽んじられたという気持ちになる可能性があるから、慎重になる必要はあるが、時代が異なるという基本的姿勢が戦略と思う。

あと何か書くつもりだったが、メモしてなくて忘れてしまった。スタッフがいると生産性は高いと思う。

さて、生活の党の公約と、民主党副代表の演説のニュースで、やはり健全野党が本筋と思った。批判ではない。健全だと思うという意味で解釈した。

つまり、議会政治の本来の役割は何かということになるということで、議会の外で公衆に働きかけることやデモ、その他の主義主張の解決手段を議会で行うという理解が適切ということだ。

全ての解決を多数の力でねじ伏せることを人間は本能的に恐れている。だから、最終的結論が同じでも、結論までの過程が透明化されることで納得感が得られる効果が必要なのだ。その意味では、仮に圧倒的勝利が見込める場合には、きちんと少数意見に向き合う姿勢を見せなければならないだろう。

議論を丁寧に行うことにつきる、とも言える。そして、それが議会政治の適切な運営だろう。そこを省略して結論を急ぐと不幸な状況を招くだろう。

それをわかっているのかね、と公約で訴えているように思える。

一般的に政策での恩恵には正負の多様性がある。例えば、ラーメン党とカレー党しかないとして、ラーメン党を支持する層に有利な政策は、カレー党を支持する層に不利に働くことが考えられる。この時に、どれだけ納得感を持つかで、不利な政策に反発する場合もあれば、おとなしく従う場合もあるだろう。これで理解出来ると思う。

だから、主義主張を重視する政党と政権党は役割が異なるのだ。ここでの政権党は、政権を担うことを重視する政党という意味だ。

その政権党は、自らの主義主張を引っ込めなければならないことを承知する必要があるし、別の選択肢の支持者への丁寧な説明も必要なのだ。それらを一体化して理解しなければ、おかしな、整合性のない理屈になるだろう。

これをスマフォ入力で説明するのは、負担感として躊躇する。少々汗を感じている。

そして、その議会政治が正常に行われる為には、各議員がきちんと向き合う必要があるはずなのだ。しかし、現実では実力がない。実力がないことを認めて、その補い方を工夫する努力をすることが、恐らく適切な道筋だと思う。それを期待しているが、目標に達しなくても気にせず、ひたすら努力すればよいのではないだろうか。

同じことは、昨年書いているはずだ。