依頼

仕事を依頼する時に、その依頼内容は双方ともに同じと言えるだろうか。

なかなか難しい話だろう。仕事の大きさとか過去の経験とか色々複雑な事情を織り込むと焦点がぼやける。

よく聞く話として、進出先の現地法人の人間が本社の人間に対して、思っている不満が共通していて、進出先の人間同士で符丁のような言葉がある。

これと似ているが、震災被害者に対して本社の管理部門担当者が形式通りの記入を要求していて、それをメールで見つけた社長が支給を至急に優先させた。

要するに、依頼時に想定することには限界があり、想定外の事態について誰の判断で決定するか、という一般化が出来ると思う。

その意味で、投資の限界を予め設定して新規事業に取り組むということを基本としている、ある創業者は参考になる。

細かく依頼内容を定めることもあるが、想定の範囲を拡張して想定外を事態を少なくする効果はあるかもしれないが限度はあるだろう。

また、一律に想定外とせず、定時連絡とか疎通手段を確保して補うことも考えられるが、やはり限度はあるだろう。

例えば、営業で契約内容を交渉することを想像してみよう。事前に決めておく範囲で交渉することが基本になるが、ラインその一、ラインその二、みたいな限界値の設定という工夫はあるかもしれない。それは、その場で逃したら二度目がないという状況が考えられるが、相手も役者でそんな振りをしてるだけかもしれないのだ。

野球で走者と打球の状況判断がある程度共有しているから滞りなく守備が出来ると思うが、他人の指示とか補完方法も必要になるのだろう。

これらの工夫は失敗から必要を感じるのではないだろうか。失敗を失敗とみなさないことは大失敗と言えないだろうか。

依頼時の想定と異なる結果に対して、後出しじゃんけんのように立場の優位を利用して自己を正当化することは典型例だろう。

何人かの話では、見定める方法として話の一貫性を確認するという方法を複数の人の話として聞いた。ダボスとか注目する人の複数の場面を聞いておくとか、ある程度の期間のレポートを確認するとか、そんな確認方法だ。

これはこれで説得力がある。人間の主体的な考えは、その人間固有の保有する脳内に形成された複雑な概念に根ざしているとする立場から、確認方法の有効性を認めたい。というより、そんな確認方法を思う発想の感性が素晴らしいと思う。

話があちこち脱線する。

人間の考えは、それほど大きく変化することは難しい。だから、依頼ということについての考えも一貫性、つまり、依頼する立場と依頼される立場の両者で同じ考えに立つことは、恐らくよいことになると思う。

どのようによいことがあるか、その説明は難しいが、依頼ということについて深く理解することというだけで関連する概念が深まるという効果は期待出来る。

少なくとも、後出しじゃんけんのような自己を正当化することを頻発するのは見苦しく思われるから、意識してやめたいものだ。

多くの事例で共通するのは、周囲というか、取り巻きに同意を求める姿だ。なんというか、自ら値打ちを下げることもないと思う。

これと似ているかもしれないが、パワハラでも同じ状況はあるかもしれない。パワハラという見方より、後出しじゃんけん自己正当化ということを想像してしまう。ある県警で自殺者も出た事例は記事だけではそんな見当をしてしまった。

個別状況では個々に理由は異なるだろう。でも、一般化することで枠組みとして深く理解することもあると思う。ただし、深め方は多様だ。