競争と競合再び

率直に行こう。ここでいうところの原理とは、世の中への認識や理解のことで、作法や芸術とか広く解釈する。率直に、ということで、原理の適用範囲が自身だけか他者も含むか、の違いと端的に表現する。適用範囲が自身だけなら、他者にとっては、優劣等の判断で諾否の自由がある。しかし、適用範囲を他者も含む場合、他者にとっては諾否の自由がない。さらに進めると少し複雑になる。原理の適用範囲について、提供者の認識と他者の認識は同一とはいえない。しかし、文章能力に劣るので、この違いには触れない。適用範囲を他者も含むとする者同士の遭遇で原理同士の競合が生じる。例にしてみる。歌を一人で歌うなら、選曲は歌う人の自由だ。だが、複数の場合、いや、とりあえず二人の場合、状況は幾つかに分けられる。別々に歌う。片方の提案の歌で一緒に歌う。一緒に歌う目的は同意するが、選曲では別の歌を提案し互いに譲らない。といった具合だ。要するに、互いに相手を巻き込もうとする状況を一般化させたかった訳だ。具体的な事柄を問わないことで、枠組みを考えることができると思う。例えば、ある個別の事柄を想定すれば、冷静になるのは難しい。把握している情報が異なったり、関心の方向が異なったり、色々考えられる。そのような類を雑音と扱うようなことだ。勿論、雑音として排除する一方では危険だ。あくまでも、道具の一つに過ぎない。ここでの独特の用語みたいな言葉は、原理、事柄、だろうか。もう少し洗練できる気がする。