極小起業

経済成長に必要なことに、生産性向上と起業がある。勿論、その他の要因も無視できない。

生産性向上に必要なことと起業に必要なことが、重複することがある。既存企業の新事業という意味もあるが、既存事業の生産性向上と重なることを指した。

大きな枠組みで捉えると、変化があるという一点で共通点があると考える。つまり、変化に必要なことや変化を必要とさせることが同じものがある。

雇用と仕事を考えると、同一企業内ならば雇用の変化ではなく仕事の変化と、通常は解釈される。しかし、個人の仕事の変化という意味では、企業内市場を通して雇用の変化とみなす考え方もある。

この企業内市場のような捉え方で、生産の変化に必要なことや必要とさせることを考える。そこには、新たな需要や生産方法という情報の存在が想定される。他の人には既知で、自分たちには未知の情報を含めよう。或いは、失敗事例かもしれない。

そのような、通常秘匿する情報を開示すれば、生産性向上や起業に役立つという文脈で捉えるならば、秘匿の必要性の薄い情報でも良いから、提供できる基盤の存在は着実に結果に結びつくと思われる。

では、このような取り組みが成功する条件はなんだろう。明確に根拠は持てない。しかし、恐らく微細なことならば可能性が高いと予想する。

例えば、限られた材料での料理方法や日常生活での工夫・情報は、手軽に提供できるし、役立つ可能性に期待できる。

いきなりの起業の敷居は高い。しかし、手軽な努力ならば可能な範囲は広がると思われる。その敷居の低さは、高さを拒むものではない。高くして、正規以外の仕事にすることも考えられる。

むしろ、雇用の多様性を考えるならば、小刻みな作業が数多く存在して、働き方を選択できることは望ましいと思われる。

発注や情報の管理等、課題は沢山ある。真摯な取り組みだけが、除外の道と考えられる。

情報への到達方法は、重要だ。例えば、打開策が特許情報にあるかもしれない。遠方の零細企業が開発した製品にあるかもしれない。それらを結びつける方法は、現在の検索や営業では限界がある。検索に人工知能的な工夫を施したり、関連事業への情報提案という高度な営業に進化したりすると、限界を突破できるかもしれない。

何を限界と設定すれば良いかは、わからない。根拠があるとも、ないとも言える。例えば、保育園での園児の危険性は、その保育園に留める必要はないが、公開を強いるものでもない。しかし、他の園児に共通する危険性ならば、母親視点ならば公開の必要性を感じると思われる。

努力を必要とする声が聞こえてきそうな感触があるだろうか。