量子的解決

問題発生の回避策も、勿論必要と思うが、問題を皆無にすることは困難だ。むしろ、積極的態度は問題を多数発生させる要因だろう。

問題の解決は、難しい。多数の一致点を見つける困難が理由とも言える。では、多様性を前提にした解決方向を考えてみよう。冥王星の惑星からの格下げ議論ではないが、惑星も、準惑星も、矮小惑星も、小惑星も、選択肢に列挙されたとして、択一とする考え方が既存の解決方向としよう。そのどれかを予め多数に委託して、その割合に応じた並列的選択を解決方向と考える。

要するに、事前に、つまり、問題発生以前に、多数への判断を委託して、問題発生時にその判断に従うというものだ。択一以外の許容がない場合もあるから、注意は必要だ。

例えば、ある取引で、事前の情報と異なる結果と判断した時に、予め委託した判断する者たちが判断して解決を割合に応じて決める。金銭的解決が主になるが、信用情報等への登録や実物や権利への判定情報の登録で所有権択一と相応の緩和条件を受け入れる。

紛争に時間をとられるよりも、制裁その他で安定に寄与する取り組みに委託して、本来的生産に集中を促すものだ。判断する者たちや問題の開示も工夫が必要だろう。さらなる牽制機能も必要かもしれない。

具体的な例でみてみよう。10円のゲーム内アイテムを購入したが、ゲームシナリオ通りで容易により優位なアイテムが入手できることを知らなかっただけで、詐欺感で問題を認識したら、購入時の判断委託先百人の判断に委託して、アイテムと8円の返却が合計の判定となった。購入時の判断委託先候補には、売却側が千人提示していた。そのゲームの注意情報に登録された。

判断する者たちと情報を通じる手段とか、様々な想定に対して、やはり、真摯に取り組むことが要請されると思う。問題自体の情報共有やその解決の情報も同様に共有することへの取り組み努力が必要とされると考える。

なんとなく、量子的な感じがする。違和感を感じる場面もあるだろうから、そのような場面での解決手段には、適さないかもしれない。どの解決手段を選択するかも、利用者の選択に応じるのが、なんとなく感性が良さそうに思う。

量子的解決は、現実に経験しなければら理解は難しい。解決という切り口で見ると、それまでの判断要素は無縁になってしまう。様々な要素があり、ある要素を重視する者がいれば、その要素を全く無視する者もいる。そのどれかだけが正しい、という経験しかしていなければ、より一層理解は困難だ。

量子的解決そのものを流用することは無理としても、その背景とか成り立った経緯とかの考えは、色々応用できると思う。