健康保険組合

ノーベル受賞者の利根川さんが日本版NIHを批判しているようだ。応用重視に対するもののようだ。応用重視か基礎重視かという話の流れとしては批判を肯定したい。利根川さんの主張する理由もあるが、政府の役割としての応用重視は民間の領域に立ち入るという意味で反すると考えるからだ。ただ、複数の省庁を統合するように取り組もうとする文脈としては、応用重視だろうと統合的な動きに異を唱えるつもりはない。ちょっと複雑。

健康保険組合の競争という概念はあるのだろうか。組合員である患者が医者にかかると、病院に負担分を支払って組合から通知がくるだけで、病院と組合の間で、何らかのせめぎ合いのようなことはなさそうだ。

例えば、同じ病気で安く済んでいる病院と高い病院は、組合ならわかるのではないだろうか。となると、その安い病院にかかるように組合員に促すことは可能だろう。或いは、高い病院に対して意見を述べることは可能だろう。

例えば、の話以外にも色々ありそうだが、ここで詳細に立ち入ることはしない。要するに、病院に対しての牽制機能を組合は有するのではないだろうか。その機能を実質的に放棄しているのではないだろうか。

つまり、組合に求められることは、一体何かを明らかにして、考える必要があるのではないだろうか。

求めることは色々あるだろうが、仮に求めることに対する努力を適切に評価するなら、効率が良いのは、やはり市場原理だろう。

その意味で、加入の組合の選択を可能にして、実質的な競争市場が生まれてもおかしくはない。

社会保障の国費投入が増大する流れの中で、組合の競争市場は検討に値するだろう。そして、その流れが支持されるなら、株式会社化の話も不自然ではない。

会社ごとに加入する組合が決まっていることに疑問を持つことは構わないと思う。

制度、つまり負担割合とか色々違いがあるのだろうか。恐らく、組合員が若年化していると黒字の組合と思われる。その組合員層で組合の経営が左右されるという理由で、競争市場が避けられていると想像する。

確かに、加入組合員の質で決まると成り立ちにくい。そこは難しいが、逆に保険料で誘導する可能性はある。丁寧に議論すれば、株式会社化を否定することもないだろう。

患者である組合員と、患者ではない組合員で、組合に対して競合することはあるかもしれない。

国費投入の観点を順序として優先させてリスクオフすることを考えてしまいがちだが、多くの健康保険組合は切り離せるのではないだろうか。

色々数字を把握してないから、話が混迷するが、議論の焦点はそれ程多くはないような気がする。薬価とかの議論より、組合の議論の方が先なのではないだろうか。