清涼飲料水

新製品の数では最も多いらしい。確かに、いつも何か知らない飲料が店頭にある。多分、長く生き残る品は少ないだろう。なんとなく、熾烈さを感じる。

しかし、数十年前との比較で現在の飲料が圧倒的に支持されるという気がしない。飲み比べて区別出来る自信がないこともあるが、数十年間の進化を疑ってもいる。とすると、新製品とはどのようなものなのだろう。

まさしく稠密産業だろう。市場占有率の変化は、どの程度なのだろう。製品の進化は、どの程度なのだろう。わからない。

新製品の開発を別の産業に向けても、消費者は困らないのではないだろうか。この観点と考えると、健康被害への対処とか、実需が明確な開発に振り替えることが全体としての恩恵を受けるように思う。

別に飲料を敵視している訳ではない。また、医薬品をことさらありがたるつもりもない。言いたいのは、開発の比較ということを考えてみたいということだ。対象は不問なのだ。

投資先としての比較はあると考えられる。これはあくまでも企業の比較でしかないが、開発は企業の成長に寄与するとされるから、開発を全くしない企業よりも開発する企業の方が競争力があると言えるだろう。

自己資本でも借入金でも、開発する企業に向かいやすい。この時、社会全体としての恩恵という評価は、どのように扱われるだろう。

つまり、企業としての評価には、株主としての思想に委ねられる側面を強調する方法以外に、何か手段があると考えられるだろうか。

というよりも、現在の仕組みで考えると、顧客と株主の思想経路以外には、残るは政治ということになるのだろうか。恣意的経路をとりあえず、これらの候補としておこう。

では、恣意的手段でないなら、市場原理的な競争に委ねる方法になるのだろうが、現在の仕組みに埋め込まれているとは思えない。

ただし、一頃流行った、レッド市場とブルー市場の解釈は、可能性として残る。稠密産業は、まさしくレッド市場を相手にする産業と考えられるし、誰も市場を開拓していない製品の開発は、ブルー市場と言えるだろう。

これは、開発状況という情報の開示具合に応じるのではないだろうか。ブルー市場相手の開発を公開する利点とは、一体どのようなものだろう。常識的には、非開示機密情報の扱いではないだろうか。

個別に情報を取得することの限界はあるが、過去の経験からの推定で開発を期待することは考えられる。この経路は理解出来る。恐らく、現実的に妥当な方法と思う。

つまり、レッドとブルーの開発の違いを、その企業の過去の開発履歴から推定する方法が、現在の最も適切な手段と考えられるだろう。これはこれで、現状成立していると言えるが、比較が機能しているとまでは言いにくい。

実効性の問題なのか、市場参加者の問題なのか、わからない。

一度戻ろう。

稠密産業の開発の社会的恩恵よりも、社会的恩恵が大きい開発があると考えられ、その比較としては、開発履歴からの推定手段が想定される。ただし、開発の比較は、実態として機能しているとは言いきれない。

この状況を肯定的に認識して、何らかの対応を考えるなら、仕組みの改善か恣意的手段になるのだろう。

仕組みの改善は、難しい。恣意的手段は踏み込みにくい。なんとなく無駄を感じるから、改善という方向が好みではある。