情報構築

少ない情報から全体を構築出来るのは、なぜだろうか。或いは、出来ないのは、なぜだろうか。

重要人物のネクタイがいつもと違うことに気づくことから、国のトップの死亡を確認出来るのも、その類なのだろうか。

専門分野以外でも発揮するなら、何らかの能力が仮定出来る。しかし、興味の有無で異なることが予想出来るから、この仮定を確認するのは難しい。

一つには、少ない情報で構築を想定して、後日その想定が確認出来る経験を積めば喜ばしい気持ちになるかもしれない。その形成過程は仮定出来そうだ。

例えば、営業活動で顧客共通の状況という少ない情報から傾向が強く確認とれる経験から営業の成果に結びつくとしたら、より深く情報収集し仮説を組み立てる意欲が増すとすることには、説得力がありそうだ。

ということは、そのような組み立てる経験が皆無であれば、少ない情報から全体構築することは出来ないのかもしれない。

それなら、なんとなく納得する。それなりの経験者でも初心者と区別がつかない力しか発揮出来ないことも理解出来る。判断する情報が揃っている状況でしか経験してなければ、組み立てという成果を得ることは出来ないのだろう。

朝鮮半島の動きも、様々なニュースから何かを掴むことが出来る人もいるのだろう。日銀の動きも予想出来る人は、それなりにいるようだ。ただし、それは市場の声に過ぎないという解釈が素直かもしれない。

日銀で思い出したが、FRB新総裁の発言を擁護する声が聞けたことは喜ばしい。非難する声ばかりの中では、なんとかの中の清涼の一滴に覚える。

しかし、市場の声とは、国の利益というより自らの利益の為というもので、だからこそ余計な思惑がないので、不自然ではないとも言える。率直な声ということだ。しかし、全体整合性の観点では疑う。全体構築という働きはないのだろう。