学校の制服

小学校、大学は自由で、中高は制服というのが多いと思う。高校は自由でもあえて学生服を着ている場合もある。大学の応援団は学生服が多い。

これを当たり前のように考えているが、当たり前なのだろうか。当たり前と考えているから見えてないことがあるかもしれない。

仮説として、例えば中学生ならこの枠組みの中に閉じられなければならない、みたいな暗黙の了解が共有されているのではないだろうか。もっと言えば、他人との差異より自分との共通点を追求する志向性があるのではないだろうか。

制服が、もしかしたら自由な発想や多様性、冒険心、ベンチャー精神の妨げになっているのではないだろうか。いじめもここに求められるかもしれない。

身近なものを大事にすることを否定することは難しい。制服をやめる、としてみよう。問題の意味が違ってくることを理解するだろう。多分、そこが問題の矮小化で、矮小化することを自然に受け入れてしまうことを批判的に見るべきだろう。

制服を一定の範囲を象徴させるものとするなら、一定の範囲にすることの利点と弊害を評価していることが前提だろう。

今日も飲んでいる。途中から、言いたいことを忘れてしまった。

思い出したら、書き込むことにしよう。