視聴率

今朝の大機小機に賛成。経営者は、語るなら物語を語って欲しい。

さて、テレビ番組の視聴率は有名だ。かなり重視されているようだ。どの程度に扱われているかは、わからない。確からしさもわからない。

ただ、言えるのは明確な数字を判断の根拠として行動の変更をすることが容易になるという面は、他の分野でも言えることだろう。例えば、運動競技の練習で効果を即座に確認出来るなら、練習内容を容易に変更出来るだろう。

この測定することの意味があるから、客観的な測定結果を大切にするという考えは理解出来る。しかし、無制限に歓迎する話でもないだろう。限界を知る必要があるし、測定困難な効果を考慮の除外とすることも出来ないだろう。

テレビ番組で科学的にサッカー選手の解明を紹介していたが、効果は確認出来ると思う。簡易な手段が使えないから、効果の確認は人間の判断になり、それなりに評価技術を必要とすると考えられるだろう。

仕事上でも熟練すると判断を確からしくすることになるのだろうが、計測方法が説明出来るとは限らない。恐らく、何かの情報を取得しているのだろうが、それが何かを明らかにすると、他人も活用可能になる。それが、暗黙に期待されていることだろう。

計測が容易であることのよい面と悪い面の両面があることをいつの間にか忘れてしまいがちになる。それを原理と認めても仕方のないこととして諦めてよいのかは、わからない。

計測結果の活用方法も単純ではないと考えられる。同じ結果に対しての評価に多様性があると認めて、そのどの評価が適切か、という評価は難しい。波及効果、副作用みたいなことも考えられるからだ。

玄人の予測と多数の素人の予測で、多数の素人の予測が正確という例として、牛の重量予想の話がよく紹介される。このこと自体を批判するつもりはないが、判断材料としての情報が同一であることと予想の単純さが前提であることを意識すべきだろう。情報の非対称性や上の二次的効果のようなことは、実際的には多いにありえると思う。

この判断の限界みたいな謙虚な態度を失わない為には、どうすればよいのだろうか。なかなか難しい。