プロ意識

今朝の大機小機に賛成。ただ、気になる言葉がある。文脈通りに解釈するので問題はないのだが、言葉だけに着目して考えてみる。

何かと比較すると言葉の意味が強調されるだろう。プロの反対を意味するのは、大概アマチュア或いは素人ということが通り相場と思う。囲碁や将棋のプロとは、比較にならないくらいの強さというので、それを代表させてしまうと不都合かもしれない。その道を職業とする、つまり、娯楽を目的とするから収入を目的としないことだけで区別すると、収入の有無とその道の達人の度合いが異なることもある。

囲碁や将棋を代表させてしまうと、その道で強ければ収入もあることを表裏一体のようにさせてしまう。

今朝のコラムの場合、職にあるのにその道で達人の度合いが弱いということを表現する意図があるから、プロという言葉の後ろに意識という言葉をつけたと思う。

プロという言葉にどんな意味を感じとるかは、色々だろうから、収入と達人の度合い以外の意味を考えることもあるかもしれない。

芸能人のような人気商売のように、他人に愛想を振り向けることを求めるとか、収入がなければ実力を発揮する必要はないとか、そのような周辺の認識はあるかもしれない。

技能や技術を秘匿すべきとする考え方もあるだろう。

文脈で使い方が読み取れる場合なら、解釈の違いも起こらないだろう。しかし、抽象的に言葉だけしかないと、その意味するところの解釈が異なることになることもあるだろう。

プロだから技術を他人に説明すべきという解釈も、プロだから技術を隠すべきという解釈も、どちらもありえると言えばありえる。

単に、プロ意識を持って仕事に励んで欲しいとする話があるとしたら、どのように考えるだろうか。今までの仕事ぶりを見てのことなのか、或いは聞く部下たちに頑張って欲しいと伝えたいだけなのか、そんなことを考えないだろうか。説明のない言葉は、解釈を任されたと考えるか、すぐ忘れても構わないと考えるか、みたいに考えてしまう。

例えば、プロの歌手よりも上手に歌っても、それで収入があるわけではないということをどのように考えるだろうか。歌が上手だけでは飯の種にならないという解釈も、下手でもプロになれるという解釈も、どちらもありえるだろう。どちらかだけが正しいということにはなりにくい。

この歌手というところを、経営者とか政治家とすると、どうだろう。

将棋の場合、ちょっと面白い例もある。チェスでも相当強い将棋のプロもいる。確か、世界チャンピオンか元チャンピオンと遜色ない勝負になったと記憶するが、記憶違いでもそんな感じの強さなのだ。

株式市場の売買の場合、結果だけで評価するならアマチュアでも相当の儲けになるので、難しい。

そういえば、長期金利が理解出来ない。マグマがたまっているのだろうか。

プロ意識という言葉に限らず、多様な解釈がありえる言葉については、意味を聞くことがある。こちらは当然のつもりでも、質問を予期していないからなのか、他の解釈が念頭にないからなのか、怪訝な顔をされることが多いように思える。予期していないのはともかく、他の解釈がないことの方が不思議に感じるのは、おかしいのだろうか。

個人株主の会社への不満が聞こえてこないのは、声があるのに聞こえないのか、声がないのか。聞こえるようになれば、機関投資家の所有責任も果たすのではないだろうか。