評価

先の発達の経路の続きのようなものを述べる。

評価は正と負の方向がある。正負の方向とは別の評価もあるが、この場では派生として、とりあえず正負に限って考える。

負の評価の事例を研究するものに、失敗学があると考えている。正の評価にはほとんどの学問が対象だろうが、代表的なものに経営学があるとしよう。

進化と発達には、世代交代でも伝わる情報継承の仕組みがあると想定される。

端的に表現すれば、進化や発達の仕組みには評価と継承があると考えているが、事例を根拠として理論が導き出せるという仮定が先の回の大筋だ。そして、事例には、失敗学と経営学が有力な候補になるのではないだろうか。

もし、理論が構築出来るならば、情報としての様々な学問の基礎論の一部を構成するのではないだろうか。

恐らく、その基礎論は純粋理論と事例の分野で成立すると予想する。そして、発展すれば、世の中に貢献すると期待したいが、危険性を孕んでいることを承知しておく必要があると思う。その危険性とは、意図した誘導ということである。もしかしたら、意図せずに間違いや誤解で誤った方向に誘導してしまうかもしれない。そのことを十分に念頭に置く必要を感じる。

失敗学は、実はよくは知らない。しかし、分野横断的で土台になり得るものを感じている。だから、これが範囲を拡大して発展すると自然に上のようなものになるとは予想している。だから、発展を期待している。

経営学も、対象とする舞台を現代というより歴史を舞台にすることで、より異例事態に堪えられる学問になると考えている。ただ、この主張は少数意見になるだろう。

人間を対象にしなければ、再現性のある実験が可能かもしれない。しかし、豊富な事例は実験を有効に代替出来ると思う。つまり、事例は貴重な実験結果のようなものだ。

例えば、自動車の駆動伝達方式はシャフトドライブがほとんどだが、二輪車の場合は大排気量の一部を除いてほとんどがチェーンがほとんどだ。これが定着する理由があるはずだが、その差違を追求しても、その結果を生かす場面を自動車と二輪車に限定するよりも、他の分野で生かせるとしたら、追求の努力は貢献する範囲が広がったことになるだろう。それが期待する効果だ。

歴史に残る企業の衰退にも、生物の絶滅にも、何か共通する理由がある可能性があるという予感も、単に感覚で捉えるのではなく、説明可能な理論になることで、より有効活用が期待出来ると考えている。

環境に硬直的であることがよくないという理解は、生物の歴史からの共通理解かもしれないが、根拠を強固にすることで、より説得力を増すかもしれない。

棲み分けの平和と競合の紛争という根拠が解明出来るかもしれない。その解明で、頑迷な世代も変化が生じるならば、これほど待ち望むことはないかもしれない。

夢物語だろうか。何か表現する方法があると感じていて、それを長く悩んでいる。というより、人工知能では、恐らく評価の仕組みが決定的に必要になると考えていて、そこが元になっている。