報酬

人間は報酬によってより努力すると考える。その報酬を考える。

報酬には色々あるが、歴史的には歪みを修正してきたと思う。世代を超えて子孫に残るものは、その代表だろう。

権益も付与する側の立場からは負担が少ないかもしれないが、歪みの典型だろう。

報酬の歪みが少ないものとしては、単なる名誉かもしれない。スターは、それだけで報酬を手にしているのかもしれない。そして、その名誉を貶める行為を抑制する働きも期待出来るだろう。

名誉は希少性があって有り難みがある反面で、相当の努力を強いるものかもしれない。現状での独占的な地位にあるのが貨幣だろう。経済活動と整合的に理解されている。

ただ、色々な形があるし、それぞれに問題が少なからずあるという意味で競争出来る環境が必要と考える。

なんというか、直感的には消費に限界があるだろうから、ある程度からは漸増として、別の報酬、名誉的なものとか、を考案することがあってもよいと思う。

ただ、現状では仕事の報酬と資金運用の利益の区別が手にする段階ではつかない。

また、現状でも既に名誉的報酬が存在しているという捉え方もあるだろう。冒険の達成は、それ自体が名誉だろう。

ここで気がついた。例えば、紛争や貧困の解決という結果を実感することこそ報酬と考える人間もいる。つまり、報酬の感覚には、相当の個人差があるということだ。

この他人には容易には理解出来ない、一見報われない努力を促進するものは、それぞれの達成感だけでよいのだろうか。もしかしたら、支援こそ望んでいるのかもしれないが、何か別な方法を探る必要を感じる。

例えば、紛争や貧困の解決の歴史ということも、報酬に含まれるのかもしれない。そんな色々な発想を創造するのは、もしかしたらマンガかもしれないのだ。その制約がない世界を保護する必要は、そこに説明されるのかもしれない。

既存の知識の積み重ねで発達するものと、飛躍的に発達させるものと、大きく違ったものがあるかもしれない。それは制約からの乖離ということが要件のような気がする。

既知の努力経路と、その経路自体の開拓は何か違うものがあるのだろうか。なんとなく、そんな思いを強くした。