獲得戦略

今朝の大機小機は、ほとんど賛成だけど、民間派遣は少し違う。自主的判断が基本で、コンサルタントや大学と契約するのも自主的に行うことが望ましいと考える。ただ、予算処置の余地はあると思う。気になるのは、よくある失敗だ。これも含めて自主的に判断する必要を感じる。

FRB議長の話が載っていた。生々しいと感じたのは、ゴミ出しの話だ。なんか、どこかで自分を見失わない効果があるのかもしれない。

さて、狙ってみることを考えてみる。

自然科学分野はなんとなく実感出来るのだが、感覚としてよくはわからない。しかし、影響の大きいものとか、開拓するものと想定してみてよいと思う。

とすると、大きな課題に取り組むことになるか、まだ誰も着手していない未開拓地を見つけるか、そのような課題設定になるだろう。

大きな課題は沢山あるから、これはこれで正面から取り組むことが必要と思う。正面ではなく、とりあえずの成果を狙うのは獲得する果実に魅力があるような気がしない。狙う意味を除外するなら、成果を否定すべきではないことは承知する。

ん?なんとなく、わかったかもしれない。つまり、論文の本数にノルマみたいなものがあるのではないだろうか。邪推は承知だ。手っ取り早い成果としての論文と仮定すると納得してしまうからだ。根拠がないから、とりあえずその仮定は放置しよう。

また、未開拓地こそ歓迎したい。大きな課題が正攻法とするなら、未開拓地への取り組みは奇襲のようなものだ。未開拓地に分け入って、開拓できると信じて進むか、未踏の地を数多く踏んで確からしさの鋭敏さを養うか、戦略としては二つあると思う。

信じて進むのは、成功した結果から見える風景だから、必ずしも保証されないことへの恐怖が障害になるような感じがする。何かを共有して、戻ることを想定することになるのだろうか。

未開拓地の周辺を歩く経験を共有して、開拓の可能性を予想することで共有は進むのではないだろうか。多分、この失敗の共有を感じることから始まるような気がする。そして、定期的な進行情報の共有で、開拓継続と中断を決定すればよいだろう。ここで慣性が働くことを念頭におくべきだろう。つまり、継続を優先しがち、というより中断の勇気がふるえないことを重々承知しておく必要があると思う。引き返す勇気と言えるかもしれない。ここでは自主性を重んじるという旗は厄介だ。

どうしても、何を対象にするかに重点がおかれがちになるから、引き返す仕組みを作ることで工夫を重ねていけばよいことに変わりはないと思う。

厄介なことは、あまり正々堂々とは言えないが、他人の成功への何かだ。これはこれで厄介だが、払拭も実力計測の対象とみなしたい。

未開拓地とは、なんだろうか。それは、前提の定義から見えてくると思う。それだけではないだろうが、前提に疑問を持つことは未開拓地の成功確率が高いことも確かだと考える。

数十億年前の地球と現在の地球で、富は変化したのだろうか。変化したのなら、増えたのだろうか、減ったのだろうか。増えたものと減ったものに分けられるのだろうか。増減の計測基準は何だろうか。これだけでも、相当の前提が覆されるだろう。

公共資産、名前が不確かだが、これも見通しのよいものとして扱うことへの課題とすれば、また違った取り組みが浮かんでくるような気がする。

資産という意味では無形が主流になると予想する。無形の明確化が、結局上の公共資産を含んだものになるのではないだろうか。これはこれで元々考えている範囲とも言える。かち合う可能性が高い。

現実の課題も様々だ。容易に解消されない課題の実験場作りも考えられる。これはこれで本来的取り組みのように考えている。本来的の意味は、狙う意味を含まないという意味だ。

このように考えると、狙うことも出来そうな気になってくる。勘違いかな?