雇用流動化

議員提出法案が多くなったことは歓迎だ。多くなれば、国会内機関の必要を感じるから、予算処置もある程度膨らませておけばよいのではないだろうか。

政府提出は中立幻想に縛られると考えているので、多様な、例えば現在では見向きもされない法案は国会しか作れないと思う。先進的な法案を支持するのは、廃案にする国会ではなく、次の或いはその次の選挙で投票する国民だろう。

憲法の全文追加は、理念みたいなものだから、表現は適切ではないが、ある意味無害だ。ならば、何度でも修正して再提出することを試みるのもありで、それを国民は見ると思う。正負のどちらの保証もないが、意識は間違いなく変わると思う。なにしろ、まだ改正されていないのだ。

さて、雇用市場のよい方向への変化を期待する声は多い。これも色々な取り組みがあるように思える。本来的には制度の修正なのだろうが、雇用への見方、通念みたいなものが邪魔をしていることが最大の障害に感じる。

要するに、新規採用の同期が退職まで同じ会社にいることが主流とみなされているのだろう。待遇とか人事に保守的なのは、変化による失敗を恐れていることもあるし、変化しなくても許されるという認識があるからではないだろうか。

国際市場で競争する企業にとって、人事政策に踏み込まなければ退場を余儀なくされることを肌感覚として感じるから、他人からの意見ではなく自ら変化させるか、国際市場から退場するしか残る道がないのだろう。

ところが、そのような激しい競争市場ではない穏当な市場を相手にすると、人事の変化という意見は他人事なのではないだろうか。必要性を感じなければ、変化しないだろう。それだけ、国内市場が大きいのだ。

ということは、外国資本の外国人経営者の国内企業の参入は、どのような意味になるだろうか。説明は不要だろう。

だから、変化の順番はともかく、国内市場での競争が激しくなることが必要で、国内市場に外国から参入するには国内市場が魅力的でなければ意欲を増すことが難しく、国内市場が魅力的になるには雇用の制度の修正が必要で、雇用の制度を修正するには雇用意識の変化が必要で、雇用意識の変化には国内市場の競争が激しくなる必要がある、といった三竦み以上の竦み状態のようなものなのだろう。

どこかを断ち切らなければ、竦み状態を解消することは難しい。

なんで、部分だけの変化で反対するのか、そこがわからない。全体の構図を理解していないのか、理解しているが歪みで利得を得る立場なのか、この構図の理解が違っているか、そんなことしか思いつかない。

例えば、外国人経営者を忌避したいなら、竦みの鎖を短絡化すればよいだけの話だろう。短絡化で、とりあえずしのぐことは可能だと思う。

ん?今回は確かに少々怒りの感情があるようだ。具体的な何かを対象にはしていない、と思ったら、わかった。

他人が理解出来ないといった状態に感じるものがあるようだ。これは意識して修正する必要があると思う。なるほど。原因が特定出来ると落ち着ける。

少々冷静になったところで、上の竦みの解消を考えてみよう。手っ取り早い部分がよいのだろうか。

どこが手っ取り早いかは、わからない。しかし、地方創生で対策の幅があるなら、地方に委ねることが手っ取り早いような気がする。制度をいじらずに済む方法なら、即座に着手出来るだろう。構図を理解しなければ必要性を感じないが、構図を理解したら必要性を感じるとは限らない。判断と理解は異なるだろう。

現状の認識、というよりアベノミクスの理屈を中学生に理解出来る説明が必要なのではないだろうか。それで四桁の数の説明が一度で済むというものだ。

ん?法案の説明にも使えるかもしれない。

要するに、戦略という表現では伝わらないのだ。一連の物語にしなければ伝わらないのだ。元々理解している人間を想定するから、学者や政策担当者で通じる言葉で疑問を感じないのだ。

学者や政策担当者以外、媒体関係者を忘れてしまったが、それ以外の存在こそ伝わるべき対象だろう。それ以外で通じているという認識は、暗黙の前提が強く想定出来るというものだ。

ん?ここでも熱が入った。これの原因は承知している。承知していて反省がみられない。退散した方がよさそうだ。

脱線して、忘れていた。雇用は難しい。難しいから大向こうをはるような取り組みは失敗すると思う。やはり、地味に進めることが肝心だろう。熱は静かに持てばよいのだろう。