地銀

地銀が夫婦で転勤出来るように互いに提携する話は歓迎だ。

口利きについて、本業ではないことの懸念があるが、地銀の提携に限らず制度の緩和を検討する意味がありそうだ。

業種というよりも、仕事の内容が同じなら、次の職場でも、それまでの経験が活かせると期待出来るだろう。これは大きい。そして、あまり注目されないが、仕事の標準化が進む要因になるかもしれないと、少々期待する。こちらの期待は副次的なものだ。

夫婦別居という観点もあるが、子どもの進学先の観点もある。子どもの宿舎の用意も必要になることも考えられるから、進学先で用意出来ることが望ましいが、なかなか難しい。でも、親元からの通学だとしても、通学時間や帰宅時間帯、特に女子の場合は親として心配になると思うが、それらを考えると必要性を感じるだろう。

通学で思い出したが、小学生の通学も課題だろう。事件もあるが、事故も課題だ。少子化で学校の通学範囲も広がるが、通学バスでの課題も丁寧に検討する必要があると思う。多分、一斉登下校になるだろうが、細かい例外が沢山考えられる。その例外対応に問題が潜んでいると思う。なかなか難しい。

小学校で思い出したが、色々な人の子どもからのその人の歴史に触れると、小学校での教育の影響が大きいと思う。経験からも感じる。成人に達した時点で考えると、多分、教科の勉強には記憶に残っていなくても、何か心に残る印象深い経験が残っていると思うのだ。だから、人生を振り返った話の中に登場するのだろう。

一概には言えないが、いたずらのようなものへの先生の適切な指導という表現になることだと思う。というより、そのような話で登場していることしか思い出せない。

だから、と短絡的に結論するわけではないが、小学校の教諭に求めるもののには、いたずらへの適切な指導というがあるように思える。

いきなり叱ることは、その児童がいかに悪くても多分適切な指導とは言えないと思う。勿論、その時点で注意しなければ傷害を負うような状況では注意が最優先だ。

小学校は難しい。中学校も難しいが、まだ生徒の自主性に期待出来る。別の難しさがある。

小学校の勉強については、色々な考え方があると思う。だから、その一つでしかないが、勉強の成績の良し悪しで誉めたり、その逆はよくないと考えている。成績というより、単に間違いの修正で済ませることがよいということだ。最低限の読み書きが出来れば、伸ばすだけ伸ばせる環境が用意出来ると尚よいという程度に考える。

成績で誉めると、それ以上の機会を失わせていると思うのだ。伸ばすだけ伸ばせる環境ということも、実は難しい。他人からの強制の意味合いがあると途端に違ったものになるだろう。自ら興味の赴くまま辿り着く限界をなるべく広げるということで考えたい。だから、周囲が騒ぐような事態は避けなければならない。

もし、小学校の時にそのような状況だったら、という観点が強いのかもしれないが、恐らく多数に通じると思うのだ。

成績の良し悪しは、先生の教え方の参考にする方がよいのではないか、くらいに教わる方の制約になっている気がする。

あとは、大人になってから読む本というものも、成人向け以外はやめた方がよいと思う。難しい本でも関心を持つなら、大人になってから読む本と決めつけなくてもよいのではないだろうか。その本の説明は出来ないと児童に断るだけでよいと思う。

極端な例を見つけた場合に、相談出来るところを設けて、環境を整備したり、不自然にならない程度に教師を派遣すればよいのではないだろうか。重要なのは周囲が騒がないことだと思う。

ニュースで見かけることも対応を考えてもらいたいという立場だ。周囲が期待することもおかしいとも言える。それらの冷静な環境がすくすくと伸ばせると考える。

また、期待すると偏ることが考えられる。これも、偏ることも不自然だと思う。しっかり、色々と着手しておく必要があると考える。

環境が整備出来なければ、転校なのかもしれない。難しい。