解散

インドでの譲渡性預金とか金融の拡充は歓迎だ。地場産業への融資は難しいかもしれないが、恐らくゆっくりでも着実に整備していくと期待出来るので頑張って欲しい。

APECも首脳外交の場なってきて、外国メディアからの扱いに注目する。

日中首脳会談は、これからの活発な経済につながることを期待したい。やはり、元首相の努力のおかげだろう。

解散の話題がニュースになっている。はっきり言ってわからない。これを少し考えてみる。

一般的に解散する前で関心を持つのは代議士だ。参議院議員はどうだろうか。報道関係は噂でも関心を持つだろう。行政府は職務上に関係するか否かに依存するだろう。

では、国民はどうだろうか。報道されれば関心を持つかもしれないが、解散の理由次第だろう。

衆議院議員がそわそわすることが自然という認識を当然としているだろうが、それはよいことなのだろうか。そわそわするということは、どのようなことと言えるだろうか。

選挙の当落だけを意識していることと、本来は何を意識するべきと考えるか、は一致しているのだろうか。

いや、この問いは遠まわしだから、率直に疑問を述べる。当落だけに関心を持つ代議士と、それを当然とする容認状況がよいことなのだろうか。本来の関心が選挙の当落に直結する実態が認められれば、もしかしたらよいことと言えるかもしれない。しかし、直結していなければ、そこに歪みの余地があるのではないだろうか。

衆議院議員は議員を選ぶ意味と、政権への委任の意味があるだろう。議員を通して政権を選ぶという構図だ。

多党の場合、選挙後に連立が組まれる可能性が高いだろう。二大政党の場合は議員選択と一致する。

一つが、この多党か二大政党制かという観点で考えることがある。

いや、まどろっこしいので、率直に述べる。

衆議院参議院では役割が違うという視点を重視している。それは、政権を担う役割の衆議院と、政権への牽制という本来的な議会としての役割の参議院ということだ。これは既に確か昨年触れている。

政権を担う役割を率直に言えば、政権交代でも変わらない政策を確実に実行することが重要と考えている。それは、日銀総裁の不在とか、義務的予算とか、外交とか、色々あるだろうが、真っ先に念頭にあるのは社会保障を中心とした財政運営だ。

これが確からしく政策運営されているなら、別の不安を考えるかもしれないが、現状では上で考えてみる。

仮に政権を担う役割を確実にする衆議院なら、政権交代しても不安を感じなくなって国民は総選挙に関心を持たないかもしれない。その可能性は否定しにくいが、逆に言えば仕事に専念出来るとも言えるだろう。

ん?

関心を持つことが重要だという考えはある。方法はともかく、危うい側に政権が交代することに不安で関心を持つという方法が確実ならば、その方法の選択も、もしかしたらよいのかもしれない。

ん?

正直な話、これではないこと、つまり衆議院だけが二大政党制が最適な話と考えていた。しかし、このように別の観点で別の評価もあることに気づいた。さて、どうだろうか。確実性もなく危ういが現状でのよさもあるということだ。

そのよさを残して変更することは可能だろうか。難しい。

まあ、別の機会がもう一度整理してみよう。役割ということだけで整理していたが、関心という観点もあるということだ。さらに別の観点もあるかもしれない。

以前、発達や進化は直線的ではないことが自然界には多いとした。それがここでも明らかなように思える。まあ、原理通りということなのだろう。

さて、それでは個別の話として今回はどうだろうか。

争点がよくわからない。ニュースでは、増税延期で解散総選挙みたいな話になっているが、逆ならわかるという感じがして納得感がない。延期でも見通しを持つならわかるという感じだ。

経済は、ほとんどの場合確実なことは言えない。だから、増税延期の場合、延期する現状に比較して増税可能な状況という見通しを語ることは難しいだろう。むしろ、その政治的リスクの方が高いと考えている。

ただ、色々施策を交えることはありえる。他の税制と絡めたり、支出を減らしたり、増税幅を変えたり、そのような細かい芸をする時間的余裕があるか次第だろう。

解散総選挙と切り離して考えるなら、延期か否かより、成長の観点で確実な将来見通しの方が重要と考えている。その意味で成長への確かな施策の方が重要だ。それが見えないことが、今回の噂と絡めると、わからない。というより読めない。何か動いている実感がないからだろう。

恐らく、報道されていない何かがあるのだろう。それを楽しみに待つことにしよう。