無風

今朝の私の履歴書の部下への仕事の内容の仕訳は、色々と参考になる。

一人の人間を理解することは難しい。理解する側の理解する能力が高いか、理解する努力が大きいことが求められる理由になるだろう。少人数だから、一人当たりの努力が大きくなる。その考えから、管理職の部下人数や教室の生徒数が少ないことを求める理由が理解出来る。

また、仕事の内容を変更するという工夫は、ほとんどの場合、仕事を委託する側に任された任務のようなものだから、業務改善は、工夫の余地を残すことも考慮する必要に気づくべきだろう。

他にも何か考えが浮かんだような気がするが、忘れてしまった。

今夜、宇沢先生のテレビ番組がある。見るつもりだが、起きていられるだろうか。

さて、野党側の本来的対応を考えてみる。

まず、まだ解散が決まったわけではない。つまり、無風も十分ありえるということだ。

そして、増税を先延ばしするなら、という理由が解散の理由ならば、当然反対側の政策、つまり、増税決定が必要になるだろう。

決まってない段階で、しかも、先延ばしと同じ側で選挙に臨む報道について、以下を考えてしまう。

一つは、日銀総裁は明確に増税決定に賛成している。また、日経の緊急アンケートで、エコノミストとかの多数は、増税賛成だ。そして、監視して欲しいのは、CDSだ。金利ではない。

これらから、増税賛成勢力がいないことは、政党政治の限界を現れなのだろうか。これを深刻に考えると、日銀に過激な権限を付与することを考えてしまう。例えば、日銀に財務相罷免権を付与するようなものだ。勿論、積極的に主張しているわけではない。主張したいのは、国民に対する選択肢の幅の観点だ。

その視点がなく、政権交代の勝ち負けというより、自政党の当選数の勝ち負けの視点のようにみえることは、問題と感じないのだろうか。

恐らく、結果的には無風だろう。それは、隠密と陽動という意味を考える必要があるだろう。無風としても、結果的に何が起きるだろうか。それは何を物語るのだろうか。仮に考え過ぎとしても、邪なものではなさそうだ。

自民党の、強力な増税賛成のある党内組織の会長が、決まったら従うという姿勢は、表向き組織の一員として当然とは思える。しかし、妙に簡単なことに違和感がある。