不器用

三人の名前の本で、組み合わせに驚いた。というのは、二人は分野が同じようなものなので自然なのだが、もう一人が仲間入りすることが想像出来なかったからだ。

なので、事典で調べてしまった。なるほど、そこで接点があったことを思い出した。事典で確認しなければ、驚いたままになっていた。

元東ドイツの議長の話で、どこかの事情に似ていると思った。状況を変化させる危険性と変化させない危険性では、biasが働いて的確な判断にならないのだろう。

ロシアの話でも確信したが、やはり実感出来ないということに尽きると思う。だからこそ、交流が欠かせないのだ。

実は、情報操作を感じている。理系方面ではなく、別な方面への誘導のようなものだ。

既に交渉を放棄していることに言及している。知らないふりも、なるべくしないことにしている。理系方面は、実は積極的に関心があるわけではないのだ。だが、気づいたら言う義務感を感じるということだ。

積極的に関心があるのは、新聞に出てくる記事のような社会全体だ。だから、新聞を読むことが大好きなのだ。という意味で、多分誘導されていると想像する。

有名俳優が亡くなって、ある店との商品での交流の紹介に触れた。その一途な何かが心に響いてくるような感じがする。

この一途な何かは、様々だろう。というより、同じ映像を視聴しても、感じるものが違うと思う。もしかしたら、具体的に経営問題を理解して、その指摘をしただけかもしれない。でも、恐らく味覚情報から言う義務感を感じたというだけのことで、子どもの純粋な言葉のままでは立場が許されないという、どこか逡巡したことがあったのだと思う。だから、直接の交流ではなく、落ち着いて届くものに限定したということだろう。つまり、そこまで配慮しているということなのだ。

酔っているから、上手な表現にならない。仮に、直接出向いたとしよう。その場合、本人の登場ということが重視されて、届いて欲しい願いはどこか置き忘れてしまうことが想定出来るだろう。そのいわば雑音を排除した行為ということなのだ。

そこまでの配慮をどれだけの人間が実践出来るだろうか。もしかしたら、本人の登場で店の売り上げに寄与することを店の側は望んでいるのかもしれない。でも、その安易な道を選択しないことを店に暗黙に願っているのだろう。

短期的成果を望むことが多い世の中で、貴重な人間を失ったと思う。

短期的成果で思い出したが、種類株の転換制度は有効と思う。例えば、保有が一定期間経過したら、配当が割り増しとなる種類株に自動的に転換するというような制度だ。売れば初期種類株に自動的に転換されるということだ。

この制度で、長期保有とされる年金の性質が強いマネーは集まってくるのではないだろうか。

くどくど、先延ばし反対キャンペーンをしよう。

来月には、日銀短観が出るから、日銀シナリオの言及が読めるはずだ。つまり、追加緩和の影響に言及する可能性を指す。この短期間での機動性発揮は夢物語だろうが、あるという仮説に従ってくまなく探すことが肝要だ。あれば、先延ばしの根拠を崩す論点になる。つまり、選挙で先延ばし判断の間違いを指摘することが出来るということだ。

さあ、野党に有利な先延ばし反対と思えないだろうか。

この誰も見向きもされないことに頑張ってしまうのは、不器用だからだろうか。

気づいたら、義務感があるというような趣旨のことを言ったが、コラッツ問題は、少し進んでいるが、紹介が難しいのだ。

なにしろ、スマフォの入力は大変手間がかかるのだ。不器用だからだろうか。