実感

概念の発達がある程度に達すると身体の一部のような感覚を持ち始めることがあるようだ。スポーツ選手の道具やレーサーの乗り物といったなんらかの物理的概念を始め、組織の長と配下の組織、ある道の経験者とその道、といった概念にもあてはまる。具体例でいえば、「じいちゃんが植えた庭の桜」であり、雨や風に痛みを感じてしまうようなものといえる。そのような身体的感覚にまで達する概念の発達はどのように理解すればいいのだろうか?なにか整理できそうな気配を感じるが、とりあえずなにかあるという程度に留め置く。その先の発達に期待しよう。感じる気配とは、なぜか故障箇所がわかるとか注目箇所が即座にわかるとか他人には不思議に感じる出来事をいとも容易に発揮すること以外にも一見不思議なことが整理することでつながると感じるのがその気配である。そして、よくいえば夢のある話として、悪くいえば現実離れした甘い誘惑として、発達の延長の先に期待してしまうのである。