木の葉の行方

木の葉は複雑な動きで落ちる。真空ならともかく、着地点と葉の向きは予想可能だろうか?予想の可能性から出発する取り組み方と動きの要素から出発する取り組み方があるとしよう。前者は方法より結果重視で、後者はその逆とみなすこともできる。結果重視だから統計的な見方も解決策の範疇になるだろう。方法の探索重視なら、空気の分子や葉の形状に解決を求めるかもしれない。投入する努力の量ともたらせる効果を判断してどちらが優れているかを問うているわけではない。同一の葉とその他の条件で再現性があるとみなせる課題について、考え方の提示をしたのみである。先の前者後者は実際と理論に置き換えできそうだ。もしかしたら、現代科学の総力で予想可能かもしれない。しかし、予想で明確になるのは一定条件での数秒後の世界である。努力と効果の見合いになりうる。但し、なんらかの代替モデルの可能性は排除出来ない。一度戻ろう。木の葉の行方について意味合いがないと断じることは容易だ。なぜなら、直面する行動の選択において木の葉が左右することを想像することが困難だからだ。立ち止まって、無目的に考えるからこそ、単純でとるに足らないことであっても、様々な考え方ができることがわかるのだ。このようにして、考えの枠組みと脳内概念のみなし方によって様々に思い巡らすことを今後紹介できると思う。もう一度戻ろう。なにかの結論を期待するなら不思議な感覚にとらわれる。結論ではなく過程を楽しむつもりなら、すとんと腹におちるだろう。読み返すことをお勧めする。