言語

現代社会の様々な進歩の中の例外的存在は人間自身だ。正確なところは知らないが、5万年以内の数万年は進化してないと思う。その数万年前の頃人間同士の疎通手段として、記号学的記号は恐らく存在してたと推測する。発声なり手振りなり絵のような文字のような記号で疎通していただろうとは、現代人程度の進化の人間と考えれば容易に想像できる。例えば、亡くなった人に対する気持ちの表現はなんらかを意識できる。普段とは違う場所とか、花や美しい石のような貴重と感じるやはり普段とは異なる物を求めるだろうことも同様だ。そして、貨幣同様に取り組んでみよう。代替と批判だ。記号学を持ち出した時点で代替手段は解決済みの扱いになろう。但し、限界についての思慮の有効性は容易に他の議論に譲れる。疎通対象を人間に限定しないとすればどうだろうか?未来の人間に対しては一方通行が必然だろうか?人間以外の生物や地球以外の生物の考慮は空想科学小説の特許だろうか?仮に思考が知能機械に完全移植可能なら代替疎通と呼べるのだろうか?つまり、疎通相手の反応が想定内なら反応の選択を相手に委ねることで必要な疎通は達成可能とみなせることを前提とするならば、想定外の反応や必要を超える疎通については思慮の余地は十分にありそうだ。