完全情報

何かの判断の際に判断材料が完全となるとはどのようなことであろうか?そこでの設定では暗黙に判断は完全としている節がある。ここでは適正な判断を問わない。あくまでも判断時点での完全情報を考える。実に簡単なのは前提を設定することである。つまり、実際のところ通常は起こりにくいが一定程度起こり得る事象を予め排除することであり実際ではなく仮想上の判断である。ということは、実際の上では不可能であろうか?可能とするなら偶然を期待するだけと思う。つまり、極めて稀ではあるが皆無とは断言できない事象とか非常に相当数の試行とか、では完全情報とは言い難い。具体例として、隕石や数億回試行があげられる。従って、実際には不完全情報での判断であり暗黙に或いは明示的に仮想上の設定を行っていると考えられる。この場合の暗黙の設定が、ある時は効率的と評価され、また、ある時は問題を生じさせる。複数の関与では、事前の明示的設定での努力に対する評価すら一致は困難である。恐らく、将来の試行数の多寡や生じた問題の大小に応じて似たような状況に対して回避努力は行われるだろう。しかし、ここではその努力を議論しない。一般化とその一般解という手法で何かが新たに認識できる可能性を期待する、いつもの取り組みを述べてるだけである。個々の状況をこの一般化で考えるとおかしな点に気づくこともありえる。