人間に似すぎる人間型

人間と見間違う程似ている人間型ロボットを見て、本物の子どもが泣き出したらしい。なるほど、予備知識なく突然現れたら驚くし不気味さを感じるのも理解できる。本人を知ってれば尚更ではないだろうか。このことをなんとなく考えてはいたが、紫外線の質感への想像し難さに何かの類似性を連想する理由がわかったような気がする。明確に認識できる二つの対象群のどちらに属するか微妙で直感的に峻別できないという理由だと思い至った。本物の人間なのか作り物なのか、紫外線の場合は質感を想像できるか全く想像できないか、という明確な二つの認識のそのどちらなのかが直感で区別できないということだ。犬や猫を見慣れている人なら犬の姿で猫の鳴き声やその逆を想像すればいいだろう。こんな例はどうだろうか?ある国の製品は大好きで別のある国の製品は大嫌いとしてみよう。ある国の会社が別のある国の工場で作った製品はどのようにみるのだろうか?この例はなにか恣意的に思わせてしまうからやめよう。戻ろう。区別できないのは直感的だ。これは認識が短絡化されてない、つまり頻繁で強化された認識経路が形成されてないということだと思う。だから、強化可能なら短絡化によって直感的な区別が可能になる。問題は強化が可能か、という点だ。これはある時点での二つの学習の強化頻度程度にその時点以降に強化頻度を要するということで、人工的に頻度を変化させるか環境変化を待つか、と設定できる。チューリングテストは、この点で批判されなくてはいけないのではないだろうか?