チューリングテスト批判

人間と見分けがつかない疎通ができるかで判定する方法をいうが、人間と認識するか否かの微妙な様子については既に述べた。人間の応答への強化学習に特化すれば、さらに可能性は高まりそうだ。人工知能とはなにかという問いかけに人間の知能を機械にしたものというなら生物の進化に即した知能と考える。人間という限定とせず、本来的に知能とはなにかという問いかけには、億年単位の進化を想定するか根元的に知能を定義するような模索が必要だと思う。生物の進化に即した知能とは、原始的には生死基準に生命維持、子孫繁栄、と発展した評価軸を知能の発達、つまり脳内概念の発達とする強化学習の仕組みと考える。だから、例えば金儲け至上主義なら社会的制裁に至る判断を下すこともありえるという間違えると危険極まりない使途も考えられる。では、億年単位とはどうだろうか。まさに想像の世界で人間の進化を基本に様々な進化を想像することになるのだろう。或いは、他の星の生物とか。根元的な知能の定義はどうだろうか。試みる努力は否定しないが、その努力を継続するだけにしておくことがよさそうだ。つまり、勝手に定義は出来てもそれを検証する手段がない以上終わることがないからだ。そうすると、現在としては謙虚に生物の進化に即した知能として人工知能を考えることがよさそうだ。生死を核とすれば、その維持のために使用可能な資源の効率的な行動を求めるための評価軸の形成がなされ、その効率的な行動のための有効な評価軸を形成、と幾重もの有効評価軸の積層が生物進化的人工知能といえる。資源の有効利用のためには忘却という人工知能を考え始めた頃には想定しない事態もあるだろう。