習慣の先鋭化

意図してよかれとする強化は、大体うまくいく。うまくいかないときは、強化の修正やあきらめて効果が得られないだけで悪い結果に結びつくことは稀だろう。悪い結果の典型例はマッドサイエンティストだ。ただ、本人にとっては悪い結果とはいえない。従って、意識した強化では、原則として悪い結果とならない、と考える。悪い結果となる強化は、無意識の習慣だろう。他の選択が可能な状況で、無意識に習慣的選択を行っているようなことがその具体例だ。習慣だから、他の選択すら考えられないかもしれない。もっと、具体的に考えよう。数学の問題を前にして、他の人から答を教わることを常套としているなら、意識しているかもしれないが、自力で解かず答を求めるという習慣だ。自力ではなく解説を読むことも含めている。この場合、自力で解く行為が求める選択ではなく、解法が記憶にあることが求める選択としてしか意識してない状態になることが、無意識の強化の悪い結果となる具体例だ。悪いことに、数学から外れてみても自力で考えれば導き出される状況で、記憶になければ答を知らない、と考えてしまうことに発展してしまう。これが、習慣の先鋭化だ。面白い例は、考えた結果ではなく思いついたことを答え合わせのつもりで他人に確認する場面に幾度も出くわしたことだ。最初は、そのやりとりが全く理解できなかった。確認する内容についてどのように導き出したのか、がわからなかった。また、確認する内容が質問なのか導き出し方の確認なのか、がわからなかった。どのように導き出したのかを聞いて初めて理解できた。それから、悩んだ。理解できなかったからだ。悩んで話を聞いて漸く理解できた。それが、今回の結論だ。習慣は恐ろしい。他人からの耳に痛い話は、反発が大多数で効果は稀だ。効果となるのは、冷静に聞ける状態が大前提だろう。自分の習慣を棚卸ししてみたい。