技能の伝承

今でも、そうかもしれないが、職人の技能を弟子に伝える方法として、師匠から教わるのではなく盗む、とよく聞く。本当のところはわからないし理由も知らないが、仮に技能を盗む方法が伝承としたら、もしかしたら自力で悩み考え模索させる効果があるかもしれない。伝承方法が分析的にある程度の形式になって、教わる側の敷居を低くするのは、広く浅く伝わるだろう。しかし、そこから先の向上については疑問だ。前回の思考の習慣と非常に似ている。伝承や教育を情報の伝達と置き換えよう。多人数を相手にするなら、伝える情報を伝達可能と予想する水準に定めるだろう。時間やその他の効率も考慮する。つまり、情報の中味と伝達形式の設計を行う。いきおい教わる側は、その情報の取得が目的と暗黙に了解する。この枠組みは、知識を得ることが目的とする情報の伝達に他ならない。このような伝達手段ばかりに浸った人間は、自力でなにかを導き出す習慣が身につくのだろうか。仮に伝達にかける時間が百とするなら、一の時間を自力の習慣が身につくために費やすことを検討することもいいと思う。習慣が目的だから、各自の進展は全く異なり、材料として唯一解となる課題はふさわしくないだろう。そういうつもりでの失敗の経験がある。自力で考えてもらおうと懸命になったが、全く進捗がみられなかった。理由は、未だにわからない。ただ、推測するのは、当方は自力の習慣が目的でも、相手方は情報の取得が目的と認識していた、ということだ。こちらとしては、取りかかる前にその旨の説明はしていたが、相手方には全く理解できてなかったかもしれない。枠組みの前提からの説明が必要な場面もありうる、と理解しておこう。