おいしい

おいしい、ということを考えるときにどのように考えるだろうか。多くの場合、料理の方向に関心が向かうだろう。人間以外の動物との対比や感じる仕組みに向かう関心もあると思う。食事の雰囲気もあるかもしれない。つまり、食事中の料理がおいしく感じれば、解決として終結すると、おいしさの探求は停止する。目的を持つことで、探求の継続は可能かもしれない。ただ、単方向に感じる。無目的な模索がいい感性と思ってしまう。恐らく、効率のような考えを持ち出すか否か、ではないだろうか。不思議と思うことを不思議のまま中断していることは、幾つもある。例えば、カラスは人間と似たような食べ物みたいだが、おいしさはどうなんだろう?とか。もしかしたら、ネットで調べれば手っ取り早くわかるかもしれない。中断は、効率が悪い。犬や猫の必要栄養素と食べ物の嗜好の対比で、成分の関係を想像したりする。楽しいと思えたら、大成功。料理を作るとか、食材集めだとか、何か目的を定めることから頭が離れなければ、しばらく無理。なんとなく、話が合わない理由がわかるような気がする。長期で複雑な問題を解いた経験を重ねると、単純な道では解決に至らないことも理解する。そして、その人なりの模索の流儀ができる。日経新聞の朝刊最終頁の私の履歴書は、多いに参考になる。