性質

猫は、熱いストーブで痛い目に遭うと二度とそのストーブに近づかないらしい。これから、痛い目に遭った猫は、そのストーブが熱い性質を持つと知った、と考えられる。冷却を知る人間ならば、冷めたら熱いと感じないことを知っているから、冷却ストーブに近寄らない猫を滑稽に思う。思い切り一般化してみる。ある事象を経験して性質と考えてしまうことは、多いにあるだろう。ありふれた言葉で、○○はそういうもんだ、みたいな言い方に表される。若いものは、○○だ、とは昔から言われてそうだ。しかし、一括りにできないことも多いにある。一括りにできない、と考えるには、それが性質であるかと考えればよさそうに思う。しかし、実は、その性質にも、概念の拡張を停止する罠があると思っている。例えば、金属の銀は銀色で、金は金色という性質だとして、それ以上疑わないことを罠と考える。色は光だから、銀色はともかく、金色は特定の波長域の光だけ反射してるが、なぜか?と疑問とするなら、罠から脱したと考える。この場合、可視光線の波長域以外にも及ぶ。もっと、過激にするなら、原子とか同一の性質としてるが、個体差ということに疑問を持たないのだろうか。実は、検出の制約に過ぎないのではないだろうか。量子コンピュータとか、膨大な同一計算同一結果となる原理を満たしているといえるだろうか。さらに続くと、コンピュータの進化が原子レベルになると、膨大な計算が全て正しいとすることを疑うべきだろう。過激に走りすぎた。一旦、戻ろう。つまり、性質だとして固定的にみなすことは、概念の拡張を停止する罠だと考える。あの国は○○だ、みたいな話には抵抗を感じている。いいところを評価するなら、わかる。しかし、短所として貶す話なら性質と考えるには違和感がある。それは、国でなくても同様だ。逆に、対象とされる場合は、対応策の基本は関心を持ってもらい、性質扱いから進展を図ることだと、この理屈からいえる。関心のもたれ方は、基本は情報提供だろう。そうだ。ここで、思い出した。警察の初動捜査の失敗をよく耳にする。そして、対応策も紋切り型で、犯行や犯人に特定にとらわれない、とかなんとか。そこに、ここでいうところの概念拡張の罠からの脱出方法を参考にすればいいと思う。類似の話は、まだあるだろう。簡単な話なのに、耳を貸さず借りていれば失敗を回避できた例を幾度も経験すると、どうしたら耳を貸してくれるかを考えてしまう。一つが、一般化なんだけど、試行のつもりではある。