いじめ

いじめは、個別にはなんとも言えない。一括りには出来ないが、理由の一つに優劣意識があると思う。感じる優劣と実際の優劣としても、人間全体を表す優劣というものにも、疑問だ。仮に、計測可能な範囲で全てが劣っているとしよう。それでも、人間全体の優劣を決定づけるとするなら、その時点で将来の永続的な決定が担保されなければならない。その担保の証明がなければ、永続的な優劣は有り得ない。と、合理的に考えるなら、少々端折るが、人間全体の優劣はないと考える。一つの基準で、ある瞬間の優劣は計測可能な場合はある。陸上競技を持ち出さなくても、そこまで懐疑的ではない。では、感じる優劣意識とはなんだろうか。根拠が求められないので、わからない。心理学な説明はあるかもしれない。人間が動物の進化生物としたら、動物から推測は出来る。群行動か捕食関係のどちらか、だと推測する。捕食関係には、群からの逃げ遅れを含む。鶏でも、いじめは見られるというから、動物的な理由と推測する。一度戻ろう。いじめる側が優越感を持ち、いじめられる側が劣等感を持つ前提の話だった。その前提自体は、別の機会とするが、いじめられる側の単独存在も、その逆側の単独存在も、あり得ると思う。つまり、一方だけの優劣意識だ。少々込み入ったので、率直に述べる。いじめる側は、脳内概念の発達が乏しいので、簡単に欠点とすると思う。或いは、劣等感の裏返しで隙を見たら優越感に浸りたい欲求を継続的に持っていると思う。どちらにしても、心理的に不満の状態が推測出来る。つまり、いじめる側をその局面だけで原因を排除しようとしても効果は乏しい。平穏な生活環境が、恐らく最大の防止策になるだろう。平穏な生活環境のためには、豊かな社会だとするのが経済学かもしれない。いじめの話は、また別の機会が必要だ。なんとなく、逸れてしまった感がある。もっと別なことを述べておきたかった気がする。