明治維新

明治維新で疑問に思うのは幾つもあるが、今はなぜ倒幕にまで進んだのかと、その理由とつながる明治政府の位置付けだ。今のところ、自分なりに納得してるのは、関ヶ原と黒船の頃での、日本と欧州との比較だ。記憶では、関ヶ原の時点の戦力は欧州の強国と遜色なく、武器の進歩も優位くらいだったと覚えている。仮に違っていても、日本の技術力に驚く欧州の人の日記の紹介は読んだ。だから、その認識が崩れたのが黒船来航で、その原因が地方主権と鎖国の徳川幕府にあるのか長い太平にあるのか、に求めて、判然としないまま、強固な中央集権と軍部を作り上げることにつながったのではないか、と思う。つまり、地方主権だから戦備自体への責任意識はあっても、技術力その他の圧倒的な差がついてしまったのは、欧州の伝聞を聞いてはいても、太平によっていつの間にか必要性を感じなくなっていた危機感の欠如かもしれない。また、国としての防衛に責任を負うべき幕府の能力への疑問も感じたのではないか、ということだ。欧州での各種の紛争も、恐らく知っていて、そんな戦争を起こす国々だからこそ様々な進歩があったと推測して、太平で努力を怠った責任意識も武士だから持ったと推測する。勿論、世界が狭くなった実感もあるだろうが、知識としての伝聞と直面する圧倒的な進歩の差とでは、やはり認識を目覚めさせる力が異なる。この鋭敏な感覚がすごいと思う。黒船だけで危機感を持つとは、どうしても思えない。やはり、その背景から感じ取る何かがあったと思う。しかも、関ヶ原以降に生まれた新興国からの黒船だ。そして、怠慢の総元締めの江戸幕府に任せておけないと感じていたからこそ、部分変更ではなく全体変更に進展したのだ。だから、新しい体制では、先進国に負けないことが第一優先になった。徳川幕府の役人から引き継いだものも少なからずあるが、ほとんど全体変更だ。廃藩置県で旧国名が使われてない。最近では、使う例をよく聞く。それはともかく、先進国からの様々な制度導入は、当然視された。陸海軍も。ある意味、暴走の根は蒔かれてしまった。国としての武力について江戸時代なら、各藩にとっては、幕府への牽制も意見も、怠慢への監視すら出来なかった。怠慢から大きな揺り戻しが、強固な陸海軍となってしまった。こんな流れが、幕末から明治政府までの、今の関心ある疑問の納得する理由だ。黒船で騒ぐとしても、どんな点にどんな人がどんな理由で、が正直わからない。単に危機とするなら、見物には納得しない。恐らく、そこが疑問の出発点だろう。様子見が大半な中で、危機感が共有できた理由は、実は実感していない。今のところで納得する理由とするだけだ。攘夷は、江戸幕府の怠慢への不満としか説明出来る理由が見つからず、一応整合性がある。この、整合性が一つの着目点かもしれない。まだ、実感が持てない危機感の共有は、独自の「原理」と関係して、敷居を高くしてるからかもしれない。まあ、しばらく置いてなにかを待ってみたい。