太平洋戦争

なぜ、戦争を始めたのか、回避出来たならどの時点か、戦争しなければ今頃どうなっていたか、と突っ込みどころ満載の歴史で、陸軍はともかく、海軍は劣勢を把握していたのに、なぜ開戦したのか。まずは、ノモンハンだろう。この時、陸軍は戦備の不十分さは明らかに認識出来たはず。それを、現場の連隊長に責任を負わせて、陸軍としての反省をしなかったことを重大に思っている。明治憲法では、神聖で侵せない存在があり、いわゆる三権以外に統帥権を持ち出してしまった。行政の長も、閣内の一大臣の不一致で退陣となる弱い立場で、なおかつ、陸海軍大臣は武官制だ。退役も可能だった時期もあるが、現役武官制では、陸海軍の協力抜きに内閣も成立できない。これで、暴走を止められると信じるのは、現代の人間では不思議と思う。つまり、組織に対する牽制機能は必要だということだ。海軍の開戦は、未だによくわからない。ただ、陸軍への吸収の話があったらしいので、それも開戦に抵抗出来なかった理由かもしれない。希望的に評価されている、永田鉄山が殺されていなかったら、陸軍は制御可能で戦争もなかったろうか。確かに、陸軍の正常化という意味では期待したい。だが、世界情勢まで考えると、難しいだろう。恐らく、その遠因は日露戦争の国としての結果で、国民の不満を重大に捉えていたのだと思う。この、詳細で正確な情報での世論、というより、単純に戦争で勝ったのに、大して果実がないと感じての世論、というのは、どこかで似たような構図があるようだ。延々とめどなく続きそうなので、手短にいこう。戦争が避けられたとして、明治憲法が改憲されて今に至るとは到底思えない。だが、回避出来たかもしれない可能性を考えるのは、現代に活かせることもあると思う。そして、今の憲法がただ存在してる認識より、歴史を踏まえた存在と思えば、単なる条文としての知識よりは少し深く考えた存在で考えられると思う。例えば、ある公式があったとして、その公式を勉強する立場では、恨むべき存在かもしれないが、その公式を導き出していなかった時代や導き出すまでの歴史を考えると、少しは理解も深まると思う。それと似ている。そして思う。明治維新の時の武士としての矜持は、どこでなくしたんだろう。先進国の仲間入りと慢心したなら、徳川幕府の構図と似ていると思わざるを得ない。ただし、明治維新と違って矜持を持った象徴的な存在は、まだ確立していないか、存在しない。そこは、悔しいかもしれない。