指導

圧倒的に保有情報量が多い人から受け手へ伝達することを、ここでは「指導」とする。教育や研修の類で、情報伝達後の行動に関心を持つ意味が強い。説明や解説は、一般的で好みではある。しかし、伝達後が今一つ。そんな具合で、囲碁関係者のコラムとDJポリスが関連しそうだ。囲碁棋士は、初心者に解説する苦労を書いていた。数年かかって、コツみたいなのをつかんだようだ。数年も執念深く追求することだけでも、すごいと思う。特に、年少者には苦労したらしい。その件には、吹き出してしまった。似た話として、落語が幼稚園で難渋というのもある。DJポリスは最近話題になったサッカーの試合後の渋谷での話だ。構図の共通点は難しい。飛躍しよう。どちらも、聞き手に関心が払われている、その一点だ。副交感神経の働きの方面は、気持ちが緩くなる方向で、逆の緊張する方向からみれば、受け入れやすい。まずは、その点で共通する。金融商品の説明で、自分の義務に関心があり、相手の理解の程度には注意を払わないといった状況と比較したら、雲泥の差だ。つまり、相手の理解の程度をどこまで関心を持つか、ともみなせる。仕事の上で、相手がわかった振りをする場合に、そのままでは支障となることもある。この場面で、どれだけ相手の理解に関心を持つかで、大きく生産性が異なれば、努力誘因になりうる。これは、同じ行動でも伝達後の関心によって、「指導」なのか単なる説明なのか別れそうだ。相手が全く知識がなく相手の知識の程度が不明の場合、恐らく相手の理解を推し量って、前提の説明、そのまた前提の説明、となるか、どの相手でも同じ説明になるか、みたいな違いになりそうだ。相手の熱心さも、熱心なのに伝わらない苦労と不熱心の苦労と、全く苦労知らずと、これだけでも、なかなか面白い。難しい話題の一つは、相手が当然としてそれ以上深く考えない話題。例えば、右の言葉だけの説明を考えることの話題。オズマ問題を知っている人なら、知っている前提で話題にできる。でも、そうではない人には、結構難しい。この難しいことがわかるのも、概念の前提概念の把握の有無を理解するのと似ている。また、「わからないことがわからない」状況も難しい。それは、あまりにも当然で何が前提概念かが行方不明なのだ。専門家が、全くの素人にどこから説明していいかわからない状況に似ている。警察の警備も、実は似ている。大衆の個々にとっては、警備の概念は通常の自分の行動では無関係と考える。いきなり警備の言葉を持ち出されても、自分の行動との違和感すら感じてしまう。集団の一員と自覚しない限り難しい。その自覚が前提概念だ。この、前提概念を実感するのは、説明では難しい。「指導」だから可能性がある。