既得権益

岩盤のような既得権益層で、本来あるべき制度への移行が進まないとされる。既存の制度での既得権の前提だが、少し一般化してみよう。既存の構図の認識と、その構図よりも広い範囲の構図の認識では、一般的には、広い範囲の最適値の方が優位だ。これは、恐らく原理だろう。ただし、評価軸は必ずしも関与する者で一致するとはいえない。例えば、貴族と生産者の構図と、全員生産者の構図では、総生産の比較では、恐らく後者の方が優位だ。前者の構図で関与する者にとっては、既存の構図は当然の認識なのだろう。認識を所与とする者ほど、認識の変更は困難だ。既存の生産方法から、革新的な生産方法への移行も同様だ。この例の場合、先の例と異なり変更後の副作用が想起される。例えば、生産効率は上がるが、一度の故障での中断が長期化するとか。つまり、評価軸が異なることで最適解も異なりうる。評価軸が異なること自体を直ちに批判することは、ほとんど不可能だ。なぜなら、状況によっては、評価軸の違いで当然評価値も変わりえるからだ。これが、多様性ともいえる。この時、多様な選択が可能なら、多様なままの進行は不自然ではない。生物の多様な進化は、その例かもしれない。しかし、択一ならば、暫定対応という試行方法もある。ここまでで、一般化の恩恵を感じるか、個別事態の結論を急いで恩恵に価値を感じないか、みたいな分岐があるように思う。少し一般化の話を進める。自分の概念の形成過程と、他者の概念の形成過程は同一とはいえない。他者の形成過程の積極的な尊重は負担かもしれないが、消極的な冒涜の回避ならば負担は少ないと思う。この一般化された原理は、批判できるだろうか。批判なく受容できるなら、異なる評価軸の冒涜を回避すればいい。異なる評価軸の尊重は可能ならすればいい。この一般化は批判できるだろうか。なんとなく、形になってきた感触は少しはあるが、まだまだ道は遠い。一度戻ろう。個別の岩盤既得権、或いは、一括りで率直に論ずることの方が、歯がゆさがなくていいと思う人が大多数だろう。しかし、急がば回れ的な近道もあったりする。唯一の救いが、ここにある。別なお題を想定していたはずが、忘れてしまった。今晩寝たら、思い出すと期待しよう。