馴染みの慣性

普段の行動は、周囲の環境に馴染んだ状態が前提になる。馴染んだ状態でないなら、何がしかの変化がある状態と言える。周囲の環境に変化がなければ、行動に変化させる動機付けに不足する。つまり、馴染みの慣性が働いていると考える。このとき、何らかの生産活動の労力は減少傾向があるだろうか。一定の成果の達成が見込める範囲で、労力の減少を抑制する理由はなく、時間拘束に制約される。このことは、否定できるだろうか。時間拘束の制約で、成果向上の誘因の有無に左右されると想定される。つまり、時間契約のアルバイトと店主とでは、全く異なる感覚だと考える。この2人を典型例としよう。慣性が働くのはアルバイトで、店主は売り上げとかの目的で労力を他に向ける誘因が働く。これは、否定できるだろうか。実は、面白ければ慣性は働かず面白いと考えることに注力する可能性がある。そこに、雇用関係の両者に知恵の余地がありそうだ。勿論、生産向上に伴う誘因条件もある。しかし、一旦除外しよう。面白いと思う状況は、一概に決められない。環境を準備する側が面白いと想定しても、受けとめる側が興味を持たないこともあるからだ。しかし、蓋然性を高める努力にはなる。そして、この努力の効果が周囲に知られれば、同様に努力しようとする情報伝播が見られる。ん?なんとなく、以前の本屋大賞の話に似ている。多分、発想が同じだ。要するに、その場で興味が持てれば、その興味に応じて発達が期待できるとすることにつながるからだ。そして、興味を保持する要因は新たな興味の発見で、興味の発見が次の興味を呼ぶ循環になることだ。恐らく、興味の領域の類似性より、興味の循環の習慣の有無が強く働くと思う。だから、子供の頃に興味に応じて楽しむ習慣は大事だ。難しいことだが、親の環境設定に左右される可能性が高いと考えている。ただし、根拠は思考のみだ。多いに疑うべし。