付加価値の源泉

付加価値の源泉の追求が企業の目的の一つということを否定できるだろうか。最大の目的は別に存在するかもしれない。しかし、予想外の要因で偶発的な利益を追求することと比較したら、納得できると思う。恐らく、現状に満足する方向で努力しがちな人間に対して、実感できる目標は付加価値を追求することだと思う。他より秀でている部分に焦点を当てて努力するか、同じことを他より多く努力することが基本になるだろう。その追求の具体的方法は色々あると思う。つまり、なんでもいいから、努力していること、模索する、もがくことが次の着地点を探し出す成果を生むということだ。恐らく、感覚で把握しているから、他人に説明するのは難しい。要は、通貨的基準とは別に、付加価値の匂いはあると感じることだろう。実際に匂いを感じる必然性はないが、匂いの存在を信じる必要はあるということだ。存在を探して追求することになるだろう。傍証として、大陸から離れている日本人は、大陸からの冒険の結果の人間と証拠だてられる。確かな果実が保証されているとは、想像できにくい。同じことが、現在でも再現されるとするなら、追求する価値の存在を信じることから始まるだろう。無責任な発言だが、そのような存在を明確に証拠だてることはできない。追求する主体は、個人かもしれないし、企業かもしれない。その結果はわからない。そのような、将来予想が不明確な状況で、何が求められると考えるか、何を追求すると考えるか、良い状態を追求する努力を考えるか、その考える設定が問われていると思う。思うのは、何が基本で将来はどの程度を念頭に置くか、それ自体が多様ということだ。